これからの仕事はアート的発想が鍵をにぎる(2)

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経営におけるアートの重要性

アートと仕事を結びつける試みは、多くの企業で実施されている。その内容は「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」という本に詳しい。働き方について多くの示唆を含む良書である。今回は、この本で述べられていることをベースに「アートの力」について考えてみたい。

著者は、現在は経営におけるアートの重要性が増している時代に突入していると説く。その背景には、世界の市場が「自己実現的消費」がメインになりつつあること、世の中の仕組みが複雑化し、論理的思考のみでは予測不能な状況にあること等が述べられている。モノを大量生産し、生活ニーズの需要に基づいて会社を経営していた時代が終焉しつつあり、消費のメインは、どのように楽しく過ごせるか、日常生活にどのような付加価値をプラスするか、といった商品やサービスに大きく移行している。

そのような社会背景の中では、価値観が多様化し、ある意味で論理的思考を乗り越えた判断が経営者には必要になってくる。これが感性や美意識を基軸にしたアートの力というわけである。世の中の需要が、モノを中心に考えられていた時代には、経験に基づいた意見や統計や数値といった根拠が非常に重要な価値を持っていた。しかし、そのような時代であっても、躍進した多くの企業はアートの発想力を大事にしていたという。例えば、ソニーのウォークマンやアップルのiMac等は綿密な市場調査を基に作成されたわけではなく、こういうものを創る!という強い想いがあって世に出たものである。製品を一つの作品ととらえると、世の中に対してどのような作品をつくりあげて貢献できるか、という視点がアート的な思考である。

アートの強みと弱み

アートの力とは端的に言うと、論理的な根拠では説明できない美意識や感性に基づいた判断や考え方である。世の中には理屈で説明出来ないことで満ち溢れている。何か課題にぶち当たった時に、判断の拠り所としてアートが注目されている。感性や美意識だけを判断材料にしろと言っているのではない。それは単に無謀なだけである。クラフト(経験)やサイエンス(科学)の力もギリギリまで駆使し、それでも判断出来ない時は、アートの力を研ぎ澄ませる必要があるのだ。

アート(芸術)と経営は違う営みのようで似ているところがあるという。例えば、絵画や音楽にしても、何か訴えたいことがあって、それを何かしらの形にしているという点では同じ工程を経ている。その際、何を強調して何を捨てるかという思考が大事になる。それも人々の感性に届くような表現ほど訴える力は強い。経営に関しても、とどのつまりは様々な選択肢の中から取捨選択し実行していく、その連続なわけである。その高度な判断遂行能力には、人間の全方位的な能力が求められるのは至極当然のことである。

ただし、アートの力は、言葉では説明しづらい部分でもあるため、何かと軽視されやすい傾向にある。例えばアート、クラフト、サイエンスのそれぞれの根拠を持った三者が何か判断を迫られた時、三者の説明はこうなる。

サイエンス「様々なデータを分析した結果、判断しました」

クラフト「過去の失敗経験をふまえた上で判断しました」

アート「これがいい感じに思えたので判断しました」

三者が議論した時、アートの分が悪いのは一目瞭然である。言葉にできないが、優れた絵画や音楽は強烈にインパクトを与えることがある。説明出来ないのがその長所であり弱点でもある。しかし逆にいうと、クラフトやサイエンスは説明が可能である。説明できるということはコピーが可能なのである。僕たちはネットやテクノロジーの発展に伴い、コピーが容易にできる時代に生きている。説明出来ることは真似もされやすい。既存の枠にとらわれない飛躍をするには、クラフトやサイエンスだけでは柵を乗り越えられない。つまり説明ができないアートの力は、他者が真似できない柵を飛び越えられる大きな強みになり得るのだ。

ソーシャルワークとアート

ソーシャルワークの考え方

さて最後に介護について述べてみたい。経営と介護を結びつけるのは、些か強引かもしれないが、アート・クラフト・サイエンスという考え方は、どちらの仕事にもキーワードとなり得る。介護にかかわらず、ソーシャルワークとして考えれば人相手の相談業務、例えばケアマネジャー、ケースワーカー、施設相談員等に共通していえることである。

ソーシャルワークは、アートであるという考え方は古くからあった。バワーズというカナダの学者が70年前にこう言っている。「個別援助技術(ソーシャルケースワーク)は、利用者とその環境の全体またはその一部との間に、より良い適応をもたらすのに役立つような個人の内的な力及び社会の資源を動員するために、人間関係についての科学的な知識と対人関係における技能を活用する技術(アート)である」。

人を相手にする仕事では、アートの力、感性や美意識(あるいは哲学と言ってもいい)が大事なのはいうまでもない。人とは、そもそも多種多様であり、一律的な対応はできない。ある種の創造性がどうしても必要になる。

ソーシャルワークにこそアートが活きる

認知症が進行してきた人に対して自宅での家族の介護負担が大きくなることはよくあることだ。経験則から施設に入所したほうがいいと助言することは簡単である。また糖尿病の人に、毎日ビールを飲み続けるのをやめたほうがいいと言うのも簡単である。何せ科学的に血糖値が悪化するデータを基にいくらでも説明できるからである。別にそう言うことが間違いではないし、助言しないほうがいいということではない。アートがクラフトやサイエンスに対して反証能力が低いのは、ここでも同じである。そうであれば、より人の心を動かす血肉のつまったストーリーを提示しなくてはならない。アート的な発想を交えて話しを進めるには、包括的なビジョンを示す必要がある。家族が介護で共倒れになる可能性、糖尿病患者が症状を悪化させて入院してしまう可能性は充分にある。クラフトやサイエンスはとても重要な判断材料である。しかし答えは一つではないし、利用者が置かれた生活環境、人間関係、本人や家族の意向をふまえた上で全体像を俯瞰して判断するほうが、よりニーズに添えるはずである。利用者が望む生活とはなんだろうか?その意向はそのような過去があって導き出されたのだろうか?家族は、どこまで本人の意向をくんでいるのだろうか?逆に本人は家族に対してどう思っているのだろうか?

利用者の周囲には、いくつもの膨大な事実や関係者の意向が広がっている。その膨大な事柄を関連付け、あたかもオーケストラの指揮者のように一つの音楽として奏でることは、まさにアート的な仕業である。繰り返しになるがアート・クラフト・サイエンスのバランスが大事なのだ。その人にとって何が一番ベストなのか、この分野でも人間の全方位的な能力が試されるのである。

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