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使い勝手がいい言葉
日本語には、汎用性が高く非常に使い勝手がいい言葉が多い。しかし日常的によく使われているにも関わらず、よくよく考えてみると、いまいち意味がはっきりしていないこともある。意味ははっきりしないけど、場面場面で何となくお互いに意思疎通がとれている。日本はお互いの意図を察する傾向が強い文化だから、成り立っているとも言える。
何気なく使用される頻度が高いということは、その言葉を使っている人々のメンタリティが色濃く反映されている。その言葉を理解することで人を理解することにも繋がる。曖昧でふわふわしつつ、使用頻度の高い言葉を「オールラウンド用語」と勝手に命名させてもらった。今回は普段から気になっているオールラウンド用語を三つほど挙げてみたい。
オールラウンド用語三選
1.凄い
まず「凄い」である。何かを評価する時に頻発される言葉であるが、具体的に何が凄いのか、あまり説明されないで使われることが多い。
「あの人は凄い」と言った場合、何をもって凄いと思ったのか。仕事ができるのか、人格が素晴らしいのか、見た目のインパクトがあるのか、説明がなければ前後の文脈で判断するしかない。
大抵はポジティブな意味合いで使われるが、たまにネガティブな意味でも使われる。例えば、ある人がケチでお金を払わないという話題の時、皮肉交じりに「あの人のそういうとこ凄いねぇ」と言えばそれはそれで意味が通じる。
良い意味でも悪い意味でも、「程度」に驚いた時に使われる言葉である。何も考えずに驚きや感動を伝えたい時に便利な言葉である。例えばどこか行楽地に行ったとしよう。観光客で大勢混みあっていると「すごーい」、レストランで頼んだ料理の見栄えがいいと「すごーい」、花火を見て迫力あると「すごーい」と、大抵の時に使うことができる便利な言葉なのである。
基本的は褒める時に使われることが多いので、何かポジティブな印象を持ちましたよ、と伝えたい時は「凄い」と言っておけばあまり間違いはない。具体的には何がいいんだかよくわからないが、とりあえず持ち上げておきたい時に使えるのである。
2.よろしくお願いします
「よろしくお願いします」というのも、やたらと使われる言葉である。初対面の人とこれからある程度、定期的な付き合いがある人に対する挨拶として一般的には使われるが、特にビジネスの現場では、その範疇をはるかに超えた場面で使用されている。
例えば、朝礼の締めの決まり文句として「今日も一日よろしくお願いします」と挨拶していないだろうか。会議で業務事項を説明する時、例えば「明日からA社から発注を受けたら、共有ノートに記載しておいてください。よろしくお願いします」と、ところどころで織り交ぜてないだろうか。別にその言葉がなくてもいいはずだが、何となく入れておかないとしっくりこないのである。
「よろしくお願いします」はいろんな場面で使える。初めてあった時、別れ際の時、打ち合わせで依頼する時、その場にいない人に伝えてほしい時、等々いろんな場面で使えて、その場面によって相手も解釈を使い分けてくれる。
当たり前のように使っているが、これは日本語だから成り立っているのであって英語だとこうはいかない。もちろん「よろしくお願いします」に該当する言葉はあるが、場面場面で使いわける必要がある。というか場面場面で違った言い回しがある。英語だと自分が伝えたい「よろしくお願いします」を細かく表現する必要があるのだ(nice to meet you, nice meeting you, please say hello to~, let's keep in touch等)。
日本語の「よろしくお願いします」の根底には、承諾してほしい、私によくしてほしい、という意味合いがある。要するに「まあまあ、これから、うまくやって下さいよ」と暗に相手に求めているわけである。こう考えるとオールラウンド用語としての本領発揮である。「うまくやってよ~」と言うと甘えた感じになるが、「よろしくお願いします!」と元気よく言えば失礼にならない。かくして日本全国各地で朝から晩までこの言葉が大量に発せられるわけである。
3.すみません
最後に「すみません」を挙げたい。これこそキングオブオールアラウンド用語である。日本語を全く話せない人が「すみません」だけを使って何とか日本で生活できた、という逸話があるくらい汎用性に優れた言葉である。
「すみません」の意味を分析すると、大きく分けて「謝罪」「感謝」「依頼(呼びかけ)」の3つがある。どれもベーシックな言語表現であり、一見したらそれらの意味する方向性が全く違うようにも思える。いろんな場面で使えるので、必然的に使用頻度は高くなる。
「すみません」は「済む」という動詞から生まれており「済む」は「澄む」という意味も兼ねている。「澄む」は自分の気持ちが収まることなので、「すみません」は自分の気持ちが収まらないという語源があるらしい。
つまり、何か悪いことをしてしまって、自分の気持ちが収まらない⇒謝罪
相手から何かをしてもらって、何かお返しが出来ず自分の気持ちが収まらない⇒感謝
相手に何かをしてもらおうと呼ぶ時、相手に何かしらの負担をかける、申し訳なく気持ちが収まらない⇒依頼
ということらしい。というと上から目線で店員を「すいませ~ん!」と呼びつけるのは本来の使い方ではないのだ。元々は相手に対する自分の気持ちから発展した言葉である。相手に気を遣った上での結果と言われれば、確かに自分を控えめに表現した上で相手をたてるように「すみません」と言っているかもしれない。
しかし意味合いというよりは気持ちから発展した言葉だとすれば、いろんな用途で使える分、曖昧になりがちなのは注意しておきたい。思っている以上に、日本語ではお互いに解釈を交えてコミュニケーションをしているのだ。
もう一つ「ヤバい」という言葉も全方位的に感情表現に使われていることがあるが、全世代的に使用されているわけではないので今回は見送った。
言葉の背景
繰り返しになるが、言葉というのは、その背景に使っている人々の思考回路や心情が反映されている。何気なく使っている言葉を振り返ってみることで使っている人々の特質が浮かび上がってくる。僕はむしろ、上に挙げた3つの言葉を普段から多用するほうである。なのでそれぞれの言葉の根底にあるメンタリティは充分に僕も理解できる。とても便利に使えるので人間関係の潤滑油になっている側面もある。
でもそれが安直な表現に逃げてしまっているなら、そこは改善していきたいと僕は思う。具体的に表現することで思考が深化することがある。人に褒められる時に漠然と凄いと言われるより具体的に褒められれば、もっと印象深く残る。よろしくお願いします、という時、何を相手に求めているのか明確にしておくと具体的に動きやすくなる。すみませんという時、自分の気持ちを明確にしておくと自分の感情をより整理しやすくなる。普段から言葉の使い方を意識するだけで、だいぶ思考の癖を改善することは出来ると思うのだ。