ケアプランをめぐる攻防(2)

ケアマネジャーに対する批判

介護保険制度の施行は2000年である。制度が発足して約10年経った2011年頃から、ケアマネジャーが適切なケアプランを作成していないのではないかという議論が、国の社会保障審議会や自治体の介護給付適正化の取り組みの中で度々指摘されるようになった。

指摘の具体的な内容は、

「長期目標、短期目標が達成可能な目標ではない、または整合性が整っていない」

「状態像、ニーズ、目標、サービス内容の間に不整合が見られる事例が多かった」

「課題の欄に原因を記述していたり、要因を記載していなかったりする事例が多く見られた」

などと、居宅サービス計画書の書式を適切かつ効果的に使いこなしてない意見が多く挙がったのである。

確かに、単なるサービスの羅列となってしまっているケアプランも数多く目に付いた。自戒を込めて言うが、たいして内容が熟考されていないケアプランが現実には横行していたのは事実である。

ケアプランの書式の項目の意味合いを理解しているかすらも怪しいケアマネジャーが多くいるとの疑念を抱かせてしまったというのが事の発端とも言える。

課題整理総括表について

ケアマネジャーの資質を疑問視されるような状況もあって、平成26年に国が一つの対応策として提示したのが「課題整理総括表・評価表」である。

介護保険最新情報vol.379 課題整理総括表・評価表の活用の手引き

詳しい内容は上記の厚労省通知に記載してあるが、要するのこの書類の意図することはアセスメント時の思考回路を文章化せよ、ということである。この書式の利用は義務化はされておらず、あくまでも現場で有効活用するためのフォーマットとされている。

しかし実際にはケアマネジャー試験の合格後の実務研修では、この書式を学ぶことが必須となっている。つまり現場のケアマネジャーには課題整理総括表を使いこなすことが前提として求められているのである。

アセスメントの過程を文書化する考え方は、以前から議論されてきた経緯があり、厚労省主催の「介護支援専門員(ケアマネジャー)の資質向上と今後のあり方に関する検討会」では、平成24年の段階で一つの参考資料として示されている(→「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する調査研究  ケアプラン詳細分析結果 報告書 」)。

上記資料76~80ページを見ると、居宅サービス計画書の新様式が提案されている。現状の書式、第1表と第2表の間に課題整理総括表に当たる様式、第3表の後に評価表に当たる書式を挿入し、3つの様式でまとめていた部分を5つの様式に増やすという提案である。

今でこそ新提案の書式は義務化されていないが、国は研修等で順次、課題整理総括表の作成を導入し、書式の積極的な活用を促している。この状況をみていると、数年間、様子をみてから既成事実として、なし崩し的に標準化しようとしてるのではと僕は勘ぐってしまう。

課題整理総括表自体は、単にアセスメントをした内容を文章化したものに過ぎない。ケアマネジャーが思考を整理するために使いたいなら使えばいい。ただし、この書式が浸透していく過程で憂慮すべき事態が進行しているように思える。

一言で言えば「窮屈さ」である。本来、創造性とは自由な発想を基に生み出されるものである。アセスメントでは論理的思考も重要だが、物事の因果関係を推定する想像力も同じように重要である。ニーズを導き出した過程を、第三者にも理解できるようにしたいならば、ケアマネジャーが一番説明しやすいように、その人なりにまとめればいいだけである。その方が発想も豊かになるし創意工夫が活かせると思うのだが、現状は定型化した書式に落とし込むことが望ましいとされつつある。

課題整理総括表では、利用者の困っている状況は何ですか?その状況に至った要因は何ですか?そこから予測できる状態像は何ですか?解決に向けた援助はどうしますか?といちいち手取り足取り聞かれているようで、正直うざったく感じるのだ。思考の道筋が決められているせいか、どことなく窮屈感を感じてしまうのである。

定型化された書式は、行政の介入を招きやすい。定型化した書類が増えれば増えるほど、行政側が業務に介入する余地を増やすことになる。その余地が増えるということは実質的な行政の権限強化であり、行政側の意図が通りやすくなるということでもある。

実地指導に対するスタンス

例えば介護保険の指定を受けた事業所には、行政から担当者が出向き、適正な事業運営(ケアマネジメントやコンプライアンスにのっとった業務)が行われているか確認する実地指導というものがある。

僕は今まで複数の事業所で何度かこの実地指導を体験したことがある。指導といっても実際に具体的なケアマネジメントの場面を見られるわけではなく、書類上の審査がメインとなる。

その準備には膨大な書類を見返して不備がないように時間をかけて備えていた。普段日常業務で作成している書類を見てもらって、不備があったら指摘してもらえばいいではないか、と思われるかもしれないが僕の経験上それでいいという上役(経営者)はいなかったし、他の事業所にいると聞いたこともない。

介護保険の報酬はサービス毎に細かく単価が決められており、その単価も決して高いものでない。事業所運営を継続するには余計な儲けはでない設定になっている。基準上決められた書類がないと、適切に運営されていないと判断されかねず、必要的に事業者側はミスがないように余念なく取り組むようになる。

僕が在籍してきた居宅介護支援事業者(ケアマネの事務所)や施設は、基本的に行政側の指導は全て受け入れるというスタンスをとってきた。運営上の不備を指摘されて報酬返還ともなると事業所存続の危機となるからである。まるでお代官様に平伏する越後屋のような有り様だと言えば言い過ぎかもしれないが、そうもボヤきたくもなる。

ケアプランの軽微変更

一つ具体的な例を挙げて述べてみたい。居宅サービス計画書は、原則的にサービス内容に変更があれば、制度上は改めてケアマネジメントの過程を経て作成されなければならない。利用者の状況が変化したからサービスの変更が必要という、きちんとした根拠を基にサービスが提供される考え方が背景にあるからである。

例えば「訪問介護」で買い物の支援を受けていた利用者が、体力の低下に伴い入浴の介助を受けるためには、同じ訪問介護を利用するにもサービスの内容が変更になるので、ルール上は改めてケアマネジメントの過程を経て新しいケアプランを作成し、利用者に同意を得てから、初めて変更したサービスが受けられることになる。

上記のようにサービスを変更する毎に、前述したケアマネジメントの過程を繰り返すとなると、書類もその分増える。介護保険制度ではケアプランはもちろん、アセスメントの書類作成に加え、関係者が集い担当者会議を実施する義務があり、それに伴う家族やサービス事業者への調整や会議録も必要になる。

居宅サービス計画書を変更する際には、その他「軽微変更」という考え方がある。例えばデイサービスに週1回通っている利用者が、慣れてきたので週2回にしたいと思ったとしよう。そんな時までいちいちケアマネジメントの過程を繰り返していては適切に対応が出来ない。なのでサービス内容に具体的な影響がほとんど認められない場合は軽微な変更として一連の過程を経ないでケアプランを変更することが出来るとされている。

そしてご丁寧にも、国はこういう場合には軽微変更として扱っていいですよ、と具体例を挙げて解釈通知で示している(→厚生労働省老健局介護保険計画課長通知(介護保険最新情報Vol155)「介護保険制度に係る書類事務手続きの見直し」に関するご意見の対応について)。

しかし困ったことにこのような新たな通知がでると、現場のケアマネジャーが自ら首を絞めるような行為をすることが少なくないのである。

例えば、ある人がデイサービスの利用を始めたとしよう。初めは本人が不安がっていたので週1回で様子をみていたが、意外にも楽しかったので週3回の利用に増やしたとする。利用者の状況や意向が変わらない場合、このような変更は軽微変更として処理していいはずだが、多くの居宅介護支援事業所は、実施指導に備えて通常のケアプラン変更として書類を整備するのである。

何故なら、上記の解釈通知で「週1回程度のサービス利用回数の増減のような場合には軽微な変更に該当する場合があるものと考えられる」との記述があるからであり、週2回以上とは書いていないからである。週1回とはあくまでも例示であり個別の事情で判断せよ、とされているにもかかわらずである。

ルールに対する過剰な反応

デイサービスの件でもう一つ言うと、通常週一回利用している人がたまたまいつも利用する曜日と違う曜日に行事があるために臨時で追加利用した場合、軽微変更としてプランを変更するケアマネジャーがいる。これも解釈通知を杓子定規でとらえる弊害である。このような些細なことまで全てケアプランを変更する手続きをとっていたら、いくら時間があっても足りない。

運営基準の解釈を1ミリたりとも外してはならない、との意識が強すぎるあまり、考えうる一番安全な解釈をとろうとするのである。無意味な書類作成の時間とともにだ。

少しでも法令の解釈が微妙であれば、行政にお伺いをたて、その回答を絶対的なものとして遵守する。創造性の余地をどんどん手放し、ガチガチなルールに進んでがんじがらめになる。これを自ら首を絞めている行為と言わずなんと言おうか。

軽微変更の例をひとつとっても、この有様であり全ての書類について万事がこの調子である。新しい公的な書類が増えれば、その領域に関する記入方法のルールができる。そして辻褄あわせの書類作成業務が増える。課題整理総括表が義務化すれば、ますますケアマネジャーが萎縮して、画一的なケアプランが増えるのではないかと懸念するのである。

制度ありきの仕組み

しかし僕は現場のケアマネジャーに全ての責任があるかといえば、そうは思わない。むしろ与えられた仕組みの中で精一杯に利用者の生活のために尽力するケアマネジャーが大多数だと思う。しかし現実には今回見てきたように、行政の走狗とも捉えかねられないケアマネジャーの実態がある。

僕はケアマネジャーの資質に帰する問題というよりも、根本的には仕組み上の問題だと考える。日本の介護サービスは、幸か不幸か介護保険という制度によって発展してきた経緯がある。ケアマネジメントという手法も自発的に発展をしてきたわけではなく、むしろ制度上のサービスを利用するための事務手続きとしてとらえられている側面がある。

今一度自分達にとって制度というものをとらえなおしてみよう。制度とは、お上から有り難く頂戴するものなのだろうか?本来の制度の趣旨からすると決してそうではないはずだ。日本の介護業界においてケアマネジメントひいてはソーシャルワークに対する考え方に足りないものがあるとすれば、専門的技術としてとらえる仕組みと技術に対する理解である。技術を有効的に発揮できる仕組みがないと意味をなさない。

専門性をもっと身に着けろ、と現場のケアマネジャーを焚きつけるだけでは根本的な解決には程遠いと言わざるを得ない。次回はケアプランが置かれている状況をさらに深掘りし、制度上の問題点としていかに硬直化しているか現状を述べてみたい。

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