ゲームからみる娯楽の発展(前編)

プロゲーマーという職業

世の中にはプロゲーマーと呼ばれる人たちがいる。いわゆるコンピューターゲームの大会などに出場して賞金を得たり、スポンサーのPR活動等を主な収入とする職業としてのゲーマーである。

eスポーツ(コンピューターゲームを用いた競技)産業の市場規模は、2017年において世界全体で約700億円。2021年には1,800億円規模に成長すると言われている(eスポーツ産業に関する調査研究報告書H30年3月総務省資料)。

2017年の日本の市場規模が5億円未満なので、海外と比べるとまだまだメジャーな職業とは認識されていないのが現状である。調べてみると、収入が日本だと年収450万から数千万なのに対し、アメリカや韓国では億を稼ぐプロゲーマーがごろごろといるらしい。逆にいえば、日本ではこれから発展の余地を残しているとも言える。

当たり前のことだが、その世界で食べていけるプロがいるということは、それだけ市場規模が大きいということである。プロの人口がどの程度の規模で存在してるかが、産業の隆盛具合を計る一つのバロメーターとなる。

かつては任天堂のファミコン、ゲームボーイやソニーのPlayStationなど世界のゲーム機器業界を席巻したこともある日本のゲーム産業であるが、興行としてeスポーツ産業が発展しているかといえば、例えばゲーム大会の賞金額の桁が全然違うように、海外と比べるとまだまだ規模が小さいようにみえる。

その理由としてはゲームを造る技術云々というよりも、娯楽に対する考え方の違いに起因するように思うのである。ゲームそのものが、”子供が遊ぶもの”という固定観念が強く、社会全体を巻き込むムーブメントにいまいち成りにくい現状があるということだ。

ちなみに僕のゲーム体験は、ドラクエⅢで止まっているので、最新のオンラインゲームのことはよくわからない。今はスマホでパズルゲームをするくらいである。ゲームのことを何も知らない人間が偉そうにゲームを語るな、と言われればそれまでだが、どうしても「ゲーム的なもの」は今後重要なキーワードとなると思うので、最近頭から離れず、くどくどと考えてしまうのである。

スポーツという娯楽

今回テーマにしたいのは、人が魅了される娯楽についてである。野球、サッカー、バスケットボールのような身体を使うスポーツと比較して考えてみたいが、ゲームもスポーツも本質的には両者とも娯楽という点では変わらないのである。

スポーツは言ってみれば身体を使ったゲームである。何かしらのルールを作ってそのルールのもとで勝負や点数を競って遊んでみる。そのルールで遊ぶのが楽しいと感じる人が多くなると、スポーツとして社会に定着していく。

スポーツの興行化も、その流れが拡大して帰結した結果である。例えば何かしらのスポーツを誰かが作ったとしよう。最初は仲間うちで遊んでいたスポーツが、楽しいという噂がひろまって趣向を凝らす人が徐々に増えてくる。

そうすると、中にはそのスポーツを物凄く上手にプレイする人が出てくる。

⇒そのプレイを見てみたいという人たちが現れる。

⇒上手い人たちのプレイを見る機会は、希少価値がある。

⇒お金を払ってでも見てみたいという人が多く現れる。

⇒プレイを見せる人たちはそれで報酬を得て暮らすことが出来る。

スポーツ選手が生まれる経緯とは基本的にこの流れに沿っているのである。スポーツの興行化が、推し進められていくと莫大な産業となる。世界中に様々なスポーツのプロリーグ、何万人も収容できるスタジアムが数百規模で存在していることからわかるように、人類の娯楽に対する欲求は無限に広がっていく。

野球、サッカー、ゴルフ等、一部のスポーツがあまりにも産業として巨大になっているので、本来の意味合いからずれて実施されていることも多い。例えば、教育の分野では精神鍛錬として活用されることもある。スポーツそれ自体を楽しむのではなく、スポーツを土台として、我慢する力を養う、あるいはチームワークを学びとる、というようにだ。

もちろん結果としてそれらの力を学ぶことはあるだろう。だからと言って、精神鍛錬第一主義なのは本来のスポーツの目的からいえば、お門違いと言わざるを得ない。スポーツが発展した、もともとの原動力は、そのスポーツで遊んでみると楽しい、という気持ちである。

プロとして上を目指すのであれば、厳しい鍛錬が必要なのは、そうだろうと思う。でも、それはお金を得るためでも名声を得るためでもない。そのスポーツを極めてみたい、相手に勝ちたいという欲求が強いからこそ厳しい練習にも耐えるのである。スポーツにハマってしまった人たちの挑戦とも言えるのだ。自らその道を選んだのだから他人がとやかく言うことではない。そして厳しい練習を一般の人に当てはめるようなことでもない。

ルールがある娯楽

人が娯楽を楽しむにあたって、自分ひとりで完結する娯楽と、人と協力して楽しむ娯楽や相手が必要な娯楽がある。自分ひとりで出来る娯楽としては、絵画や読書、音楽鑑賞等がある。この場合自分の好きなペースで娯楽を楽しむことが出来る。逆に人と対戦したり、チームを組んだりするが娯楽には、ルールが必要である。ある一定のルールで公平性を担保しないと勝負や競争にならない。

ルール上、身体を使って競争したり勝負するのがスポーツである。他には盤上で頭脳を使って勝負するのが将棋囲碁、チェスといったゲームである。そしてコンピューターという媒介を通したゲームで競うのがeスポーツである。つまりスポーツやゲームは、ルール化した娯楽という点では共通の基盤を持つのである。

日本でいまいちeスポーツが浸透していない理由に、娯楽を受け入れる社会的素地が整っていないことがあるように思える。物事を楽しむ前に何かを学びとろうという意識が働きがちである。これは社会のタイプの違いであるから、良し悪しとは別の話しである。娯楽意外の何物でもないコンピューターゲームに何か人生の真髄たるものを見いだせるとはなかなかイメージしづらいのは確かである。

またコンピューターゲーム自体が、黙々とPCに向かってひたすら没頭してる姿をイメージする人が多いのも理由の一つだろう。スポーツが身体を使う溌剌としたイメージがある反面、どうしてもゲーム中毒等、ネガティブなイメージを連想してしまいがちである。

そんな状況の中でも、僕はeスポーツの発展、コンピューターゲームの隆盛はおそらく日本にも今後大きな波がおしよせてくるであろうと思うのである。次回、その辺りの理由を述べてみたい。

 

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