シグルイを語る(前編)

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残酷な物語シグルイ

残酷という言葉がある。残酷とは、単純なようで実は奥が深い。人はなるべく残酷な出来事を避けて通ろうとする。大抵は負の感情を呼び起こすことになるからである。しかし、他の人に降りかかる残酷な出来事には、ついつい目が向いてしまう。殺人、拷問、裏切り、欺き、運命等々、良きにつけ悪しきにつけ、同情であれ興味本位であれ、残酷な出来事は人々の感情に訴える。

シグルイという漫画は、首尾一貫して残酷な物語である。「シグルイ」=「死狂い」であり、題名からして何やら尋常じゃない雰囲気を醸し出している。

シグルイには原作があり、「駿河城御前試合」の「無明逆流れ」という一章が元となっている。原作者の南條範夫は、普段抑え込まれた感情が何かの拍子で破れる時、そこにあふれ出す残酷性を表現したい、そう記している。彼が時代小説を好んで多く書いたのは、昔の社会のほうが残酷性が現れやすいからだと言う。そうした思いを込められた物語は、人を惹きつける何かがあるのだ。

シグルイのエピソード

岩本虎眼というキャラクター

時は江戸時代初期。シグルイでは、伊良子清玄藤木源之助という二人の男の対決を軸にストーリーが進む。シグルイの一番の特徴は、その人物描写にある。原作では至ってシンプルな人物描写が、作者山口貴由の手に掛かると極めて独創的なキャラクターへと変貌する。

伊良子と藤木は、虎眼流という剣術の流派の門弟である。二人の師匠である岩本虎眼という老境にさしかかった人物が、特に異彩を放っている。虎眼は精神に異常をきたしており、時々正気に戻るという設定だが、とにかく言動が規格外である。

例えば、剣術を披露した後、尿失禁する・いきなり門弟の口を刀でぶった斬る・娘が子供を産める身体になるように獣の肝臓を娘の口に突っ込む・愛人の乳首を素手でぶっちぎる・盃をバリバリと器のまま噛み砕く・・・等々。これだけ書くと何がなんだか意味がわからないと思うが、要するに激情型で何をしでかすかわからない危険人物という設定である。

伊良子への仕打ち

虎眼師匠の峻烈を極めるエピソードの一つが門弟伊良子に対する仕打ちである。伊良子に自分の妾が手を付けられたことに激怒した虎眼は、門弟たちに徹底的に伊良子を痛めつけさせる。伊良子は背中をえぐられ、陰部を焼き切り落とそうとされ、最後に両目を裂かれる。

弟子が伊良子を悼みつけている間、虎眼の脳裏には、過去の忌まわしい記憶が蘇っていた。それは若かりし頃の虎眼が、柳生宗矩との立ち合いで実質的に勝ち、宗矩の推挙により徳川家の剣術指南役という立場を得る寸前までいった時のことだ。当時は太閤秀吉の天下で、次点の実力者は徳川家康であり武芸者にとってこれ以上ない栄達・・・になるはずだった。

虎眼の右手には指が6本あった。しかし仕官面接の際、指を1本伏せていたことが原因で不採用となってしまう。太閤も同じく指が6本あり、見苦しいから指を伏せたと答えたことが無礼とされたのだ。指を伏せるよう進言したのは、他でもない宗矩である。その後、柳生宗矩は3代将軍家光の兵法指南役となる。つまり、虎眼は宗矩にまんまと嵌められたのである。

虎眼先生!

その怨念が、目の前の伊良子に叩きつけられたのだが、その件に関して伊良子は無関係である。師匠の妾に手をだす伊良子も伊良子だが、いくら何でもそこまでの仕打ちを受ける筋合いはない。この執念深く激高しやすい虎眼の性格が、様々な悲劇の発端となるのだが、弟子たちは、数々の師匠の理不尽な指示を黙々と遂行するのだ。

岩本家の跡取り・三重の婿

虎眼には三重という一人娘がいた。他に子はいないので、必然的に三重の婿となる男が虎眼流の跡目となる。虎眼は専ら剣術の力量のみで婿を決めようとする。それが虎眼流岩本家隆盛の礎に繋がると強く信じており、精神が曖昧な状態でもその点については異常なこだわりを見せる。婿を門弟の中から選ぼうとするのだが、伊良子と藤木、剣の実力は拮抗しており候補者はこの二人に絞られていた。

実は伊良子は虎眼から仕打ちを受ける前に、三重の婿になることが決まっていた。ある時、道場で伊良子と藤木の演武を観た虎眼は、直後にいきなり三重をひきづりだし「た、種~」と呟きつつ伊良子の前に放り投げる。つまり今すぐ男女の契りを結ぶよう迫ったのである。絶句する三重。道場から立ち去ろうとするが、門弟たちが前に立ちはだかる。

「お戻りあそばれますよう。先生は伊良子清玄を婿にお選びなされた。全ては虎眼流安泰のため」

三重は門弟たちに手足を押さえつけられ、衆人監視の中で事がすすめられようとした。三重は絶望の最中、脳裏でこうささやく。

「傀儡(くぐつ)・・・男はみな傀儡」

舌を噛み切ろうとした、その刹那、伊良子が虎眼に許しを請う。今ここで無理に事を運べば三重は命を絶つ、そうすれば家は断絶する、首を垂れて虎眼に懇願してなんとか事なきを得る。無事難を逃れたとは言え、この出来事は三重の心に深い傷を残す。いかに道を外れた鬼畜の所業であっても門弟たちは家長の意向には黙々と従う。伊良子以外は…。このシーンは、シグルイの物語において重要な意味を持つこととなる。

伊良子と藤木の生き様

仕打ちの後、野に捨てられた伊良子。その数年後、虎眼流に対して復讐を刃を向けはじめる。当道者(失明した者)となった伊良子は自ら生みだした剣術を用いて次々とかつての門弟たちを惨殺する。そこに立ちはだかるのが藤木源之助である。

もともと藤木は、百姓の生まれだったが、訳あって虎眼に命を助けられ武士の身分を与えられる。その恩に報いようと師匠の「家を守る」、この一点に無骨なまでに忠実な男である。己(おのれ)の腕を拠りどころに、自由奔放に生きる伊良子と、自分を押し殺し自らの宿命を受け入れ、士(さむらい)としての職分を全うする藤木。シグルイの魅力は、対照的な二人の生き様を描くことによって、対決のシーンをより重厚なものへと仕上げている。

シグルイでは二人の対決のシーンがいくつか描かれるが、その緊張感が半端ではない。緻密な画力によって圧倒的な迫力をもって読者に迫ってくる。紙面を通じてこの緊張感を感じるなら、作者はどれだけの気迫をもって作画に臨んだのだろう。他人事ながら作者の精神状態を心配してしまった。

シグルイの時代背景

それはともかく、シグルイの時代背景に注目してみたい。僕はどうしても、物語の社会性に興味を持ってしまう。一つ言えるのは、当時の観念では「家」が「個」よりも圧倒的に重要視されていたということである。特に武家社会は、石高制が食扶持や身分の基準となっていたし、全て「家」を単位として定められていた。

したがって個の意向は軽視されがちになるが、その逆に家の存続が最優先とされていた。家中の者も家長に背けば何もかも失ってしまうため従わざるを得なかった。そう考えれば、虎眼が家の栄達を阻まれたことに異様な怨念を持ち続けたこと、門弟たちが虎眼に盲目的に従っていたのも理解はできる。現在の価値基準で当時の行動を判断できないのは充分承知している。当時はそれが当たり前の通念だったのだ。だからこそ世の中の不条理さ、運命の残酷さが際立つ。

シグルイはエキセントリックな表現が多く、そういった面に注目されがちだが、しっかりとした時代背景がバックボーンとして組み立てられているのも評価されるべき点である。社会背景を登場人物が背負っていることをきちんと描いているから、対決シーンもより重厚に感じるのである。

原作の「駿河城御前試合」が比較的淡々とした記述なので、シグルイを体感した後に小説を読むと肩透かしをくらうかもしれない。しかし原作の設定がなければ、シグルイという名作は生まれようがなかった。「駿河城御前試合」という極上の素材があったからこそ、作者が料理人としての力を遺憾なく発揮し「シグルイ」という極上のエンターテイメントに調理仕上げたのだ。後編ではその時代背景をもう少し深掘りしてみたい。

 

山口 貴由 / 秋田書店 (2004年1月)
南條 範夫 / 徳間書店 (2015年10月)
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