シグルイを語る(後編)

駿河城御前試合

寛永6年9月24日、駿府城において駿河大納言徳川忠長の面前で上覧試合が行われた。この上覧試合、真剣を用いるという異例の条件のもとに実施されている。通常の武芸上覧は木剣が用いられ、直接身体に打突することは許されない。真剣を用いれば、有能な剣士同士、命の取り合いになることは必至であり、実際、試合は残忍で凄惨なものとなった。11組中、8組は一方が相手を殺しており、あとの3組が相討ちという結果で、城内広場に敷きつめられた白砂は血の海と化し、死臭があたりに漂ったという。

伊良子と藤木の因縁の対決も、この駿河城御前試合でクライマックスを迎える。様々な因果によって最後は上覧試合で決着をつけることになり、領主の面前で正々堂々と命を取り合う勝負ができる。二人にとって、決戦の舞台としては、これ以上の環境はない。

徳川忠長の怨念

ここで物語の重要なキーパーソンとなる人物について述べてみたい。他でもない上覧試合を主催した徳川忠長である。シグルイにおける忠長は、かなり倒錯した性格の持ち主として描かれている。極端な癇癪持ちで、些細なことで小姓や近侍を虫けらのようにあやめる。

徳川忠長

本来であれば、上覧試合で真剣を用いることは時世から許されないことである。時はすでに将軍家光の世、徳川幕府の体制は盤石に成りつつあり、不必要に残忍な上覧試合を催せば、主催者側の横道を問われかねない。少しでも幕府を刺激するような行動は慎まなければならず、それは徳川家の血を引く忠長も同様であった。

何人もの家老が開催を留めるよう必死に説得するも、忠長は上覧試合を強行する。単に忠長がサディスティックな趣向を満たすためだけに実施されたのかと思いきや、実は根深い怨念を腹に含ませていることが徐々に明らかになる。

結論からいえば、将軍家に対する叛旗である。忠長は当代将軍家光の実の弟である。幼少の頃は国千代と称し、才覚も容貌も兄竹千代(のちの家光)に勝る存在だった。長子相続性が確立していない当時、母のお江与は国千代こそ将軍家の後嗣として溺愛し、諸大名もそれに倣い国千代に溢れんばかりの貢ぎ物をする。しかし竹千代の乳母、春日局の画策により最終的に家康の裁断が下る。

「長幼の序を誤るは家門の乱るる基」

この裁断により、将軍職は長子の竹千代と宣明された。幼少の頃から将来の将軍ともてはやされ、周りの人間は全て自分に平伏するのが当然という価値観で育てられたものの、結局は将軍への梯子を外された。本来は自分が将軍になるべき存在だったという屈折した怨念が、忠長を冷酷な人物へと至らしめた。

忠長の奥底には、自分に生死を預ける幾万もの兵が平伏し、江戸将軍家に対して叛旗の狼煙を上げる。そんな思惑があった。駿府城は、祖父家康が長年居城とした所縁の地である。その駿府城において、忠長は真剣御前試合をせしめ、隠密に諸大名に対して上覧試合に配下の出場を請う。真剣の意味するところは、将軍家に対する挙兵に連判できるかという踏み絵でもあり、将軍の道を阻んだ家康への復讐ともとれる

以上はシグルイにおける徳川忠長の人物像である。史実では実際に忠長に反逆の意図があったかは分からない。その後忠長は、数々の横暴な振る舞いを咎められ、改易となり、最後は幕命により自刃したとされている。シグルイでは、忠長に反乱をけしかけ幕府に対する反乱分子を炙り出すという幕府重臣の奸計に利用され、葬られたという設定である。忠長も結局は時代に翻弄された一人であった。

無慈悲な上意

そんな忠長の思惑に踊らされるのは、伊良子、藤木等の上覧試合に出場する剣士たちである。尋常ならざる因縁があるとはいえ、忠長の個人的な怨念で殺し合いを強要されるのである。現在の感覚からすれば、無慈悲と感じざるを得ないが、当時の感覚では「上意」があれば、それに従う。それ以外の選択肢はないのである。シグルイにおける一貫したテーマは、理不尽な上意から生まれる運命の残酷さを徹底的に表現しているのである。

シグルイでは、どんなに無慈悲な命令でも、それが主君の意向であれば、家臣の者たちは自分の感情を押し殺し忠実に命令を遂行するエピソードがいくつも提示される。前回挙げた伊良子や三重への虎眼門弟たちの仕打ちもその一つである。他にも何の罪もない人々が、主君の面子を保つためだけに殺されてしまう、そんな無常なエピソードが随所に挿入されている。その行為が正当化されるのは、自分たちは主君のために存在している、という意識である。

上下天分の理の徹底

時代背景

そのような意識が常識だった時代背景の説明をしてみたい。徳川幕府の創始者、家康は、子が親を家臣が主君を殺す下剋上が戦乱の世を生き延びた。家臣が主君に逆らえば、次々と無秩序な世をもたらす。そんな世を目の当たりにした家康は、自らが世の統治者となると、徹底的に体制が綻ぶ原因となる芽を摘みはじめる。

大名は、国替えや国普請で財力を削がれ、幕府から少しでも怪しいと疑われたら改易(お家取り潰し)の憂き目に合った。その行為を正当化するため、家康は朱子学を利用する。朱子学はもともと儒学の一派で中国から入ってきた思想だが、林羅山の解釈でその教えはだいぶ変容する。

「上下天分の理」と言って、人は生まれながらに不平等であり上下関係の徹底こそ、世の根本原理と説いたのだ。この教えは、支配者にとって都合が良い学問だったので、幕府はお墨付きを与え普及を奨励した。先に述べた家康の長幼の序を重視する判断も、全ては体制の維持を念願においたものであった。

強固な社会通念

その政策は、効果的に社会に浸透し、家光の時代には社会の隅々に覆いかぶさる強固な通念となっていた。改易となった大名は数知れず、世には浪人が溢れた。家臣にとって主君がいなくなれば、全てを失い明日からの食扶持に困る。そうならないためにも上意には敏感になり、主君の手となり足となって働かなければならない。

当時の武士の世界観が何かに似ているな、と思ったらヤクザのそれとかなり共通していると気付いた。武(暴力)を権力の拠りどころとし、面子を重視する。組織は上意下達が基本で、主君(親)の命令は絶対である。上下関係の緊張感を持たせるため、家臣(子分)が失敗したら自身の身を傷つけ責任をとる(指詰め、切腹)。

もっとも真剣度合で言ったら、当時のほうがずっと深刻である。主君からの破門は、自分だけではなく自分の家族や家臣もろとも身の破滅を意味するのである。個の意向よりも、兎にも角にも家の存続が優先されたのは、このような社会背景があったのだ。門弟や家族には、傍若無人に振舞っていた虎眼も、目上の者には愛想笑いを振りまく。そのような処世術がなければ、生きながらえない。我々が想像するより、ずっと過酷で徹底された通念が人々を支配していたのだろう。

シグルイのクライマックス

そのような強固な通念がある中、一人だけそこから自由になった人物が伊良子清玄である。もともと一人の主君に仕える気はなく、自分の能力を上げるための踏み台としてしか考えていない生き方をしてきた人物である。それが様々な経験を経て、真剣試合の前日、次のような境地に至る。

「同じなんだ。(中略)武士も夜鷹も。駿河大納言(忠長)も当道者も何も変わりはない。己の剣はその証・・・」

夜鷹とは売春婦のことである。伊良子の母は、脳梅に侵された夜鷹であった。伊良子は自分の出自を周りには絶対語らなった。ひょんなことから、忠長にその珍しい剣術に興味を示されて客人として厚遇を授かる。人が羨む権力を手に入れるに至り、そして気付く。自分は野心を満たすためではなく、人間に優劣をつける階級社会を否定するために昇ってきたのだと。

一方の藤木は、伊良子から虎眼流岩本家を守るために奔走するが、虎眼が伊良子に斬られたことにより、一人娘の三重と慎ましく暮らすことになる。虎眼流以外に三重という存在が出来たことで、藤木にも心境の変化が起きる。虎眼流の剣名は守れなった、しかし三重だけは一生守り通す、と心に誓う。

以前は憎悪をぶつけ合っていた二人が、個の生き方に目覚めたことで、上覧試合ではどこか清々しい気持ちでお互い向き合うことになる。上覧試合には、藤木に三重が帯同している。当然、忠長も試合の推移を見守っている。伊良子、藤木、三重、忠長、それぞれが一堂に会することで物語はクライマックスへ向かう。純粋に武の応酬の勝負で物語が終了、ということでもよかったのだが、シグルイはさらに過酷な運命を最後に突き付ける。忠長が、試合の勝者に対して放つ一言。それが勝者を絶望という奈落の底へ突き落す。まさしく残酷の極致といっていい。

その結末については、ここでは述べないので興味があれば是非手に取って読んでもらいたい。シグルイは終始、暗いトーンで話しが進むし、臓腑が飛び散る残虐シーンも多い。決して万人受けする作品ではないが、人の感情を揺り動かす強烈な熱量が込められている。物語のクライマックスを読んだ後、僕の感情は大きく揺れ動いた。無常観でも納得感でもある。絶望でも感動でもある。何やら形容しがたい感覚に呆然と包まれたのである。

 

 

 

 

 

 

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