テクノロジーによる変化

自動運転と電気自動車

自動車業界を劇的に変えてしまう可能性

最近見たYouTubeの動画で堀江貴文が面白いことを言っていた。雇用形態に関するテーマだったと思うが、近い将来に自動車業界の雇用が激減することになるだろう、というような話しだった。

ここ数年、自動運転の技術は凄まじい勢いで進歩しているらしく、今後10年程度のスパンで日常的に実用化される見通しだと言う。自動運転は電気自動車と相性がいい。エンジンだと操作と反応に時間がかかる反面、電気モーターの方が反応がよく、はるかに自動運転に適しているのである。

さらに電気自動車は部品点数が少なくパッケージ化がしやすい。簡単に言うと、バッテリーとコンピューターと車体だけで出来てしまうということだ。そうなると別に自動車を製造するのは、自動車メーカーでなくても充分に可能かもしれないのだ。

ガソリン車のエンジンは部品点数が非常に多く、その他ギアボックスだったりドライブシャフト等、製造過程には膨大な作業工程と精緻な技術が求められる。ガソリンエンジン車を製造することを前提に巨大な自動車産業が成り立っているわけだが、その前提が崩れようとしているのである。自動運転に移行するというのは、それほどインパクトがあることであって、自動者産業を劇的に変えてしまう可能性がある。

もう一つ言えば、ネットの技術と融合することで、車を所有するという概念すらも無くなっていくという。自動運転が一般化すれば、必要な時だけにスマホから呼び出せばすぐ目の前に、共有の車が到着する、そんな未来がすぐ近くまで来ているかもしれないのである。

大企業のリスク

当の自動車メーカーも、その将来像は充分に理解しているようで、トヨタの豊田社長は「製造業」から「モビリティ・サービス・カンパニー」に脱却すると宣言している。もっともホリエモンは、会社の図体が大きいと今後の生き残りの競争には圧倒的に不利だと言う。

確かに、ガソリンエンジン車の需要が減っていくとすれば、それを作るための工場やサプライチェーンの存在が重くのしかかってくる。維持費だってかかるし、すぐに廃棄できるような資産でもない。

自動車産業は、部品を作る関連子会社等を含めれば、68兆円という(業界動向searc.com(平成27年度))とてつもなく大きな産業であり、それだけに利害関係者の激しい反発が予想され、それに伴う調整、説得等は一筋縄ではいかない。想像するに、既得権益を守ること、もしくは脱却することで精一杯になりそうなのである。時代の変化に対処するには、余程の柔軟性をもっていないと太刀打ちできないのではないだろうか。

テクノロジーがもたらす変化

10年後の未来

このような未来像を信じるか信じないかは人によって違いがあるだろう。ホリエモンの言う10年という年月の根拠を僕は明確に提示することが出来ない。しかし彼が提示している未来像は、世の中が向かっている方向としては概ね間違っていないように思える。

今までもテクノロジーの発展によって、製品のシェアが実際に大きく変わった例はいくつもある。例えば80年代当時のパソコン市場は、NECのPC98シリーズやIBMのPCがシェアを席巻していたが、Windowsを代表とするOSの登場で一気に駆逐されたように、新しい技術の登場で市場が激変するのを、様々な分野で目の当たりにしてきていると、どの分野でも例外はないと思ってしまう。

自動運転に移行せざるを得ない理由

自動車産業で言うと、多くの人が車を自分で運転しないことや、所有しないことに違和感を覚えるかもしれない。ただしテクノロジーが進展する潮流は不可避であり、多かれ少なかれ変化を受け入れざるを得ないだろう。その理由はいくつもあるが、①安全、②環境、③価格の三点をここでは挙げてみたい。

安全面

まず①安全性であるが、交通事故の大幅な削減が期待できるという点である。以前よりだいぶ件数は減ったものの交通事故で命を落とす人は後を絶たない。昨今話題になっている高齢者の事故も、身体の反射神経の衰えがもたらすもので、人間が運転する限りどうしても事故は避けがたい。だが自動運転で事故の件数が確実に減少が見込まれる。ミスをする確率は、圧倒的に人より機械のほうが少ないからである。

環境面

②環境面についてであるが、日本における自動車などを含む運輸部門の二酸化炭素の排出量は、2015年で約2億トンで、全体の15%を占めている。そのうち自動車が圧倒的に多く89.7%、その中でも自家乗用車の比率が最も多くなっている。運べる人の数という意味での輸送量の観点でも自家用車の効率の悪さは明白である。つまりガソリンで動く自家用車の数を減らすことが、二酸化炭素の排出量の軽減に効果的で地球温暖化への歯止めにもなるのである。

コスト面

そして③価格、コストの面から考えても将来的には電気自動車(EV)に分がある。現時点では、ガソリン車よりもEVのほうが、かなり価格が高い。「EVと自動運転」という本に詳しいが、著者によるとエンジンからEVへの移行は、ブラウン管から液晶テレビへの移行に似ているというのだ。1990年初頭には10インチパネルの製造コストが50万円ほどしていたが、わずか6〜7年で10分の1になり、単位面積当たりの店頭価格で言えば、2002年から10年間の間で100分の1になったという。

現状では、性能面でEVはガソリン車に遅れをとっている。しかしテクノロジーの世界では、業界関係者の中で共通認識ができると一気に開発投資が進む。今、技術的に欠点が多い製品でも、いざそれが主流になると不可能が可能になる技術革新が飛躍的に高まる。まさにEVは、以前の液晶テレビのような状況にあるのだ。

生活様式や仕事内容が変わる

以上のような理由から自動車をめぐる我々の環境は、大きく変わっていく可能性が高い。音楽ストリーミング配信が主流になった現在でもCDやレコードのニーズが一定数あるように、自動車を保有し続けるニーズは今後も存続するだろう。だがおそらくその割合はかなりの少数になっていくと思われる。

大多数の人は、安くて便利で安全ならば、EVによる自動運転を選択するはずである。良くも悪くも、我々が住んでいる社会はテクノロジーにより生活形式が変わり、仕事内容も変化をしていく。そのような社会であることを認識しておいて損はないはずである。

鶴原 吉郎(著) / 岩波書店(2018年5月)
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