ブログを書き続ける理由

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一年間の実績

去年の1月18日に初の記事を投稿しているので、僕がブログを始めてからちょうど一年経ったことになる。改めて振り返ってみると、それなりの分量を書き連ねてきたと思う。当初は1記事大体1,500文字程度の分量だったが、最近は4,000~5,000文字程度の記事も多くなった。この一年間で60記事書いたので、平均3,000文字としても約18万文字を生成したことになる。

18万文字がどの位の数値かというと、単行本で10万文字、新書で12万文字程度の分量が一般的と言われているので、優に本一冊分以上は書いてきたことになる。そうやって考えると一年間あれば、仕事しながらでも地道に積み重ねればそこそこの実績として残せるものである。

僕は文章を書くのが得意なほうではない。得意でないというのは、決して楽をして書いてはいない、という意味である。言葉が湧き出るように文章に表現できればいいのだが、少しずつ書いては消し、あれこれ考えながら書いているので、スタイルとしては非常に遅筆である。

ある意味つらい作業でもあるのだが、今のところブログを止めようという気持ちは全くおこらない。ブログを書いてきて、得られたものも非常に大きいと思っているからである。その辺りの心情を、一年間続けてきた経験を踏まえて、今回は述べてみたい。

ブログを続ける理由

以前の記事で、僕はコミュニケーションが苦手だという話しをしたことがある。特に話し言葉では、その伝達能力の資質の欠落が顕著で、今までの人生で言いたいことが伝わらず、悲しく悔しい思いをしたことは数知れない。

言葉の表出の具合からいえば、文章でも似たようなものである。滑らかに言葉が出てこないのは書き言葉でも同じであって、頭から絞り出し何とかそれを繋げて文章にしているのである。頭の中にある「想い」や「考え」をテンポ良く言語化する能力が著しく欠けているのである。

ただし文章の場合は、何度もやり直しが効く。三歩進んで二歩下がるではないが、根気よく時間さえかければ、最終的に表現したい形に落ち着く。現実世界で他者にほとんど伝わらなかった「想い」や「考え」が、ブログでは曲がりなりにも表現が出来る。

ブログを始めて改めて感じているのは、自分の表現しきれなかった「想い」「思考」がこんなにもあるのか、ということである。「organizing my thoughts」という副題にもあるとおり、もともと僕の頭のモヤモヤを整理したいという気持ちから始まったところもある。

おそらく、そのモヤモヤは今のところ全体の一割も整理できていない。その反面、「ブログのネタがない」と困ったことはなく、常に10を超える書きたいテーマが頭の中で渦巻いているのである。しかし前述のように、遅筆であるためタイミングを逸して書き損ねたり、いつのまにか忘れてしまったネタも多い。

時間さえあれば毎日でも更新したいが、残念ながらそんなに器用な人間ではない。せめて書き始めたテーマを丁寧に書き上げるだけである。そうして積み重ねてきたことで得たものは多い。

関連知識の定着

まず、ものを書くとことによって、準備段階として書く量の何十倍ものインプットが必要になる。僕は介護保険等の社会保障制度であったり、社会動向をテーマに論じる記事を比較的多く書いているが、そういったテーマの時は、その背景にある資料を多く読み込んでいる。

書くとなれば、いい加減なことは書きたくないので、テーマに関連する文献を読んだり、ネットで統計資料を探したりする。知らず知らずのうちにその分野のプラスアルファの知識を学ぶので、結果的に随分と勉強になるのである。

自分から言葉を絞り出す過程を経るからこそ、その言葉を大事にしたくなり、自分の論旨の根拠となる事実も正確に知りたくなるのである。調べたいことを能動的に調べて、自分の言葉で表出するから知識の脳への定着率もいい。

例えば、一方的に言葉を浴びる講義形式だとこうはいかない。話しを聞いて学んだつもりになっていても、後で思い返してみると意外に身に付いていないことが多い。一旦自分なりに咀嚼してアウトプットしてみると活きる知識となる、ということを改めて実感している。

思考の拡張ツール

僕は今まで「相手に伝えきれた」そしてその前の段階の「満足いく主張、表現ができた」という経験がとても少ないので、表現した結果が形として残る、ブログという媒体に非常に有り難みを感じているのである。人一倍、表現することに飢えていた、という素地もあったと思う。

もちろん、書く内容をあまり練らないで気ままに楽しく書く、というスタイルもあるだろう。しかし僕はブログを続けることによって、頭の中を整理し色々なことを深く掘り下げたり「想い」や「思考」を明確化したいという、いわば思考の拡張ツールとしての側面を重視している。

なので、その時の自分が出来得る最高のクオリティの文章にギリギリまで近づけたいという思いでいつも書いている。その行為を繰り返すことで自分の中の軸が少しずつ研ぎ澄まされていく感覚があるのだ。

最近は、一年前の自分には、考えもしなかったことが頭の中に浮かぶことが多々ある。それが原動力となって新たな記事の作成に向き合っているのである。

ライティング能力の向上

単純にライティングの能力の向上という面でもブログは役立つ。文章作成とは、論理的に要素を構成していくスキルでもある。分かりやすく伝えるために、要素を組み替えたり言葉を変更したりして、いろいろと試行錯誤が必要になる。僕は決してスキルの吸収が早いほうではないが、それでも思考を巡らすことを意識しながら記事を書き続けたことで、ライティング能力は多少身についたと思う。

以前書いた記事を、今時点の自分が読み返してみると、言葉足らずで意味が伝わりづらかったり、独りよがりな表現が目につくようになり、リライト作業を多くするようになった。ブログだとPC上の操作で簡単に過去の記事を見返して修正できるので、振り返って反省点として活かすツールとしても便利である。

不特定多数の読者の存在

そしてブログ最大の利点は、読者を意識しながら文章を書けるということである。単なる思考の拡張ツールというとらえ方であれば、極端な話し、自分だけが読めるノートにでも書いていれば事足りる。しかし、それだけであれば間違いなく書き続けることは出来なかったと思う。ブログを継続する意欲を湧き立てられる一番の理由は、やはり画面の向こうの読者を意識しているからである。

この点に関してはネット社会の恩恵を物凄く感じている。一昔前であれば、不特定多数の人に文章を読んでもらうためには、雑誌や本くらいしかなく、一部の人しか出来ない特権だったのだ。それが今は実績や能力に関わらず、万人が情報を発信することが出来る時代になった。

さらにGoogleが提供している分析ツールを使うと、事細かに記事を読まれた軌跡が分かる。どの記事がどの位の人数に読まれ、どういう検索条件で流入したのか等、詳しいデータが一瞬で手に入る。そういったデータを見ているだけでも、世の中の人の興味だったり考え方等が分かって面白いのである。

幸いなことに僕のブログに訪問してくれる人は着実に増えているが、読者数の増減に関わらず、自分がやり切ったという心境になるまで書くことは続けるつもりである。何故なら全ての人に「想い」や「思考」をオープンにしているという環境がありさえすれば、自分を表現できるからである。

仮に読者がゼロになったとしても、それはそれで自分の戒めや反省として捉えると思うが、表現したいという気持ちには忠実でいたいと思うのである。とは言っても、自己満足に徹した文章を書くつもりもなく、読者に対して有益な情報を届けられるよう心がけていくつもりである。

まとめ

以上まとめると、僕には人一倍表現に対するこだわりが強いブログという媒体を利用すれば、自分の表現や思考を形に残せる、とのブログを書き続けていく理由を述べた。

そしてブログを継続することで、自分の思考が洗練されて明確になる、主体的に資料を調べアウトプットするので、書いた記事の関連知識が増えるライティング能力が高まる、人の目を意識することでモチベーションを保てる、分析データを見て世の中のニーズが分かる、といったメリットがあることを説明した。苦しい作業ではあるが、充分すぎるほどのリターンがあると感じているのである。

 

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