
世の中は悪くなっているいう思い込み
先日、少し遠方まで出かける用事があり、道中は電車でゆっくり休んで行こうと思い、グリーン車でウトウトとしていた時のことである。60 から70代とおぼしき4人位の男性集団が、近くの席で酒をのみながら会話をしていた。酒がまわるにつれ声がだんだんと大きくなり、聞きたくもない会話が耳に入ってきた。
曰く、最近は物騒な事件が多く世の中がおかしくなっている、人のことが信用できない世知辛い社会になってしまった、昔は貧しくてももっと人々の心が豊かで暮らしやすかった等と盛り上がっていた。要するに昔は良かった、今の若いモンはけしからん論である。
この手の話題は、ある程度の年齢になると、そう話したくなるものらしい。2千年以上前にも孔子が「最近の若いモンは」と嘆いていたと言うから人間の習性とも思えなくもない。僕も仕事上、年配の方々と話す機会は多いが、あからさまに言う人は少ないものの、オレオレ詐欺なんかが横行する世の中はひどいもんだ、といった発言はたまに聞く。先のおじさま達も、普段から思っていることが酒で気持ちよくなって同世代の仲間たちとつい愚痴ってしまったのだろう。
僕は別に若くはないが、感情にまかせた「昔はよかった論」は、やはり聞いていて気持ちいいものではない。本当に世の中がおかしくなっているなら、若い世代より年配の世代にこそ責任があると思うし、世代を分断して、どこかを悪者にするというのは建設的ではない。
データからみる犯罪件数
実際に、昔と比べて物騒で住みにくい世の中になったのだろうか?ちなみに総務省が公開している資料に「日本長期統計総覧」というのがあり、1924年から2004年までの様々な統計を閲覧することが出来る。その中に「刑法犯の罪名別認知および検挙人数」という資料をみると、一番「殺人」の認知件数が多かったのは、昭和29年(1954年)の3,081件、同じく「傷害」では昭和33年(1958年)の73,985件である。「警察白書」によると平成29年の殺人認知件数は920件、傷害件数は23,286件であるから、現在の方がだいぶ治安はいいといえる。
「3丁目の夕日」の頃は、人々はのどかで暮らしやすかったというイメージがあるが、少なくても犯罪件数でいえば現在のほうがずっと安全である。むしろ戦後の混乱期は、暴力が身近に頻発していたと考えるほうが自然である。
同じように詐欺の認知件数を調べてみると、一番多いのが、昭和8年(1933年)の388,666件。平成29年は42,571件である。当時の人口は今のほぼ半分だったから、単純計算でおよそ今の18倍の詐欺があったことになる。戦前の日本人は、道徳的に高潔だったのいうのは嘘っぱちである。悪党が跋扈する、現在より信用がおけない世の中だった。
思い込みにとらわれないようにしよう
「オレオレ詐欺」のような犯罪は、昔はなかった犯罪である。故に人々の注目を集める。そこで犯罪集団は、巧妙にやり口を変えてくる。そうすると、それに備えて警察による様々なキャンペーンが実施され、マスコミにより注意喚起を促す特集が組まれる。社会全体として周知されるようになったので、嫌が応にもオレオレ詐欺に関する情報は耳に入ってくる。それが詐欺が急増しているという誤解を生むのである(ちなみにオレオレ詐欺をはじめとする特殊詐欺自体の件数は、急増しているわけではなく、ここ数年横ばいの状態が続いている。警察庁資料、特殊詐欺の被害状況参照)。
実際の犯罪が減っているに、いかにも犯罪が増えているように錯覚する人が多いのは、マスコミ報道やネット情報化の進展によるところが大きい。ひと昔前のテレビは、例えば70年代は娯楽メディアの役割が中心で,ほとんどがドラマ、バラエティ、こども番組だった。それが現在はニュースやワイドショーばかりで、同じ事件を繰り返し放送している。ましてやインターネットの普及で情報が溢れている。メディアは視聴率を得るため、またはページビューを獲得するために刺激的な内容の事件をセンセーショナルに煽って報道する傾向がある。
考えてみれば、自分が子供の頃、今よりひどい事柄はいくらでもあった。学校では体罰が当たり前だったし、変な教師も多かった。地元の駅は汚くゴミが散乱していたし、駅員の態度は最悪だった。勿論、昔のほうが優れていた面もあったと思う。当然ながら世の中は良くなることと悪くなることが併存している。思いのほか人間の脳は騙されやすい。思い出は美化され、歪んだ視点で現在をとらえやすい。しかし様々なデータを見ると、総じて世の中は少しずつ良くなっているといえるのである。
必要以上に、世の中はだんだん悪くなっているという風に考えると次第に何をやっても無駄だという思考に陥りがちだ。それよりも、これだけ改善しているからさらなる進歩は可能なはずだと思えるほうが生産的である。別に楽観的になることではなく、現状をきちんと把握することの重要性を認識しておきたいのである。