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思想家 西部邁
僕が、西部邁(にしべすすむ)という評論家の文章に初めて触れたのは、二十歳の頃だったと思う。書店で何気なく手にとったムック本は、世の中の常識を疑え、というテーマで、様々な執筆者が、政治や経済にまつわる持論を展開していた。
大学生だった僕は、何か政治的思想に傾倒していたわけではない。むしろ政治談議には、ほとんど興味を持てず、ただひたすら目の前の日常を過ごしていただけだった。そして若干、斜に構えて世の中を眺めていたので、世の常識に対して懐疑的な視点を取り入れてみたい、と思ったのかもしれない。そういえば恰好はいいが、多分単なる暇つぶし程度に、その本を購入したのだろうと思う。
いずれにせよ、こうして僕は西部氏の言説と出会うことになる。その本に、氏が寄稿していた文章の論旨は、民主主義を疑え、という内容だった。当時も今と変わらず、巷では政治に対する不信感は根強く、「政治改革」なるものがマスコミを通じて叫ばれていた。氏はその風潮に異を唱え、マスコミや国民が政治を馬鹿にする資格があるのか、国民がまともであれば政治もまともになるはずだ、マスコミや国民は、批判する前に自らの不明と民主主義の脆さに意識的になるべきだ、と大まかにいえば、そんなことを論じていた。
その文章に限っていえば、読みやすく軽快なタッチで書かれていたためか、面白いことを書く人だなあ、との感想を持った。西部氏は、保守派の論客として知られ、討論番組「朝まで生テレビ」に出演したりして、舌鋒鋭く明快な論理で相手をやり込めるような一面も持っていた。僕は、徐々に氏の論説に興味を持ち始め、何冊もの著作を貪るように読んだ。
氏の思想は、政治、経済にとどまらず、外交、宗教、人間論、死生論など、多岐にわたっていた。正直に言って読みやすい本ばかりではなかった。言い回しが難解で、内容の半分も理解できない著作もあった。しかし、只ならぬ魅力を感じたのは、言説の根底に「真理とは何か」「生きるとはどういうことか」という根源的な問いに、徹底的に答えようとする姿勢、もしくはその答えを希求する姿が、垣間見えたからである。
分からないなりにも、著作との格闘を繰り返しながら、少しずつ氏の思想が、僕の血肉の一部となっていくような感覚を覚えるようになった。社会人になって、氏の著作を読む機会は減ったが、時折、人生の節々で読み返すようになった。生きる上で何かしらの迷いが生じたとき、僕はしばしば氏の書物に立ち返って、自分の思いや考えを反芻していたのである。そういう意味では、僕にとって西部氏は僭越ながら、人生の師ともいえる存在だったのだ。
その西部氏が自裁したのは、2018年1月、氏が78歳の時である。日頃から、氏の思想に触れていた僕からすれば、自裁されたこと自体、意外性は感じなかった。度々、自身の著作の中で、いずれは自らの命に終止符を打つと宣言していたからである。とはいえ、彼の訃報に接するにあたり、心に穴が開いたような寂しさを感じずにはいられなかった。
それは、身近な人が亡くなった時の感覚に似ているのかもしれない。もちろんお会いしたことはなかったが、少なからず僕の核となる部分に影響を与えていたのは間違いない。僕の血肉となった部分が反応し、幾ばくかの喪失感を生じせしめたのだろう。
人生の軸を組み立てる
軸が求められる時代
西部氏のことを述べたのは、もちろん理由がある。今回の記事に少なからず関連があるからである。記事のタイトルは、いろいろと悩んだ結果「人生の羅針盤」とした。少し大仰と感じたかもしれないが、人生においてどのような思考をめぐらせていけばいいのか、真正面から論じてみたい、という想いが最近心にもたげるようになり、このようなタイトルに落ち着いた。
そう思うに至った経緯は、主に二つある。一つは、情報の洪水に飲み込まれないように自分を保つ、という点である。特に昨年は、コロナを巡り、あらゆる情報が錯綜し、世の中が情報によって混乱するさまを目の当たりにした。コロナだけではない。国家財政の状況にしても、物事を丹念に調べていくと、見方によっては全く違う現実が目の前に開けてくることが分かった。
僕がブログで書いてきた内容が、絶対正しいと言いたいのではない。世の中で当たり前と思われている事実が、実は単なる思い込みであったり、根拠の薄い言説であったりするのが、ままあるということを、ブログを通じて改めて強烈に思い知らされたのだ。情報社会の進展により、数多くの情報から何を選び取るか、そしてどういう風に自分の思考を組み立てていくのか、非常に困難な作業であり、かつバランス感覚が必要になってきた、と感じるのである。
そして二つ目。これは前々から思っていたことだが、介護の業務に携わったことに端を発する。介護というと、身体が動かなくなったお年寄りを介助する、というイメージがわくかもしれない。介護は、単におむつを替えたり、入浴介助をすることではない。CARE(ケア)の日本語訳は、「気に掛ける」という動詞である。利用者に介助を提供する主体であるだけではなく、その人を気に掛けるというのがもともとの意味合いである。
もちろん、それはケアマネジャーのような相談援助にかかわる職種も同じである。むしろソーシャルワーク的な発想からすれば、人の生活全般、人間像全体から俯瞰してみて、その人にとっていいケアとは何なのか、と考えることが本筋ともいえる。しかし現実には、現場では、もっぱら介助を提供するサービスそのものに焦点が当てられてきた節がある。人の生活をみるとは、すなわち「どのように生きていくか」という視点なしには語れない。介護の現場において、その視点がすっぽり抜け落ちてしまっているのではないか、そういった懸念がずっとぬぐいきれなかったのである。
その想いは、悶々と僕の心の片隅に蓄積されてきたが、ブログで様々な思考を巡らせることによって、より鮮明になってきた感覚がある。そして、自分の中にしっかりとした軸を持って生きていく、という思考が以前にも増して、重要な時代になってきたと強く思うようになったのだ。
羅針盤の必要性
羅針盤とは、そういう意味合いで名付けたタイトルである。人は船で航海をする時、羅針盤を使って目的地までの航路を見定める。海のど真ん中には指標となるものは何もない。羅針盤があって初めて目的地までの方角が分かる。逆に羅針盤がないと、方向性が定まらず、右往左往してしまうことになる。
僕は、人生における羅針盤のようなものを提示してみたいのである。人によって目的地は違うだろう。当然、目的地をどこにしたらいいかなどと、僕が人に講釈を垂れることは出来ない。それは各自が決めることである。ただ目的地が定まっていないとしても、自分の中に確固たる軸、すなわち羅針盤を持っていれば、自ずとどの方向に向かうか導き出せるようになると思うのだ。
僕は元来、世の中に馴染めるような性質を持ち合わせていない。子供の頃から、集団の中に溶け込むのが苦手だったし、教室の隅でおとなしくしているようなタイプだった。学校の勉強も及第点で、スポーツや音楽に関してはからきしダメだった。そうかといって特に人に誇れるような特技もなかった。時には人に、蔑み、疎まれ、愛想をつかされることもしばしばあった。
そういった自分の性質からすれば、この世の中は僕にとって決して生きやすい場ではない。一つ間違えれば、社会から外れた人生を歩んででいてもおかしくはなかった。例えば、自暴自棄になって犯罪を犯す、全くの無気力になって引きこもりになる、盲目的に怪しげな宗教に入信する等々、ちょっとしたきっかけでそういった道のりを進んでいたかもしれないのだ。
自分は、決してきらびやかな人生を送ってきたわけではないし、金銭的に恵まれているわけではない。むしろ相当地味な日々を過ごしているし、それなりに辛い体験もしてきた。綱渡りの人生だったかもしれないが、それでも何とか踏みとどまって生きている。
こう書くと、何度も死にそうになった印象に聞こえるかもしれないが、今まで僕の人生で、自殺が脳裏をよぎったことはないし、犯罪を犯そうとしたこともないし、自分を見失うほどの精神崩壊をきたしたこともない。かろうじながらも、地に足をつけた感覚は維持しているのだ。それは、ひとえに自分の中に羅針盤を持つことで、精神のブレを意識的に抑えていたからだと、今、振りかえってみれば思うのである。
介護の現場における羅針盤
介護の仕事をしていると、数多くの人生を垣間見ることになる。ケアマネジャーになると自宅に訪問する機会も多いので、いやがおうにも、家庭環境や家族の状況も目に入ってくる。中には、引きこもり、虐待、ネグレクト等、とても一筋縄ではいかない問題を抱えている人たちがいる。そこには、極度の「絶望」であったり、「怒り」「孤独感」などが背景にうごめいているのである。
そして僕には、そのような人たちが、どのよう生きていけばいいか分からず迷走していたり、一定の考え方に固執したりしているために、もがいて苦しんでいるように見える時がある。介護サービスを受ける当事者に限定した話しではない。むしろ仕事をもって普通に暮らしているように見えても、もしくは余りある財産を築いていたとしても、実は世の中には、生きづらさを抱えている人が大勢いることを、常々身をもって痛感しているのだ。
もちろん、その辛さの原因というのは多種多様である。精神的な疾患、生育歴であったり、病気や事故の場合だってあるだろう。きっとそのような経験を経たからこそ、強さや優しさを得たという人もいるだろう。人生と生きづらさはセットだと言えるかもしれない。ただその辛さの奥底を紐解いていくと、何か軸のようなものが極めて歪なかたちになっているため、生きづらさに繋がっている、と思える場面が少なからずあるのだ。
僕が、そういったケースに直面した時、まず思い知るのが、自分の無力感である。表面的に表れた問題が、介護のニーズだったとしても、長年蓄積された家族間の人間関係だったり、本人の価値感に起因する原因があれば、介護サービスを取り入れたとしても根本的な解決にはならない。ケアマネジャーだけで、どうこう出来る話しではないし、もし出来ると思うならそれは思い上がりにすぎない。
もちろん多くの専門職がかかわっていくことで、解決の糸口が見えてくることはあるだろう。だが、決して他者が問題を直接解決することはできない。どうしても当事者自身が、自分の生き方の軸を見つめ直し、変化させていく作業が必要になるからだ。生き方を見直すという意味では、あくまでもケアマネジャーを含めた専門職は「きっかけづくり」を提供するのであって、側面からの支援に徹する立場なのである。
であれば、専門家である以上、自分の中に軸をもっておくことがいかに重要であるか、理解できるはずである。相手の生き様のどのあたりが苦しさの根っこになっているか、ある程度見当をつけるには、自分の中に基準がなければ判断しようがない。さらに言えば自分の軸を関係性の中で態度で示すことで、相手が何かを感じとって自らの軸を見つめ直す、その可能性をわずかながらでも期待を込めて接していくしかないのだ。
羅針盤を共有する
自分の軸を持ち、どのように生きていくか、という視点は、誰にでも当てはまる普遍的なテーマである。僕が偉そうに説明できる立場にないのは重々承知している。あくまで僕の視点でしか説明できないし、それが他の人にとって正しいかどうかは分からない。
ただ、そのような大層とも思えるテーマに無謀にも挑戦しようと決意したのは、先に述べた二つの理由もさることながら、自分が提示する「羅針盤のようなもの」が、誰かの生き方の参考になればと思ったからである。以前、僕が西部氏の著作に影響を受けたように、ブログを見た誰かが、何かしらのヒントを得てもらえるならば、それは僕にとって望外の喜びなのである。
今後、何回かに分けて、自分の中に沈殿している羅針盤の内容を、棚卸しをするような感覚で、整理し直してみたい。内容については、西部氏の論説の影響を色濃く受けているが、自分なりの解釈を相当施している。西部氏以外の著作からの影響もあるし、何よりも僕が今までの人生で得た体験によって、日々加工修正されているものである。
そういう意味では、僕の家族や友人、知人たちの共同作業によって創り上げられた羅針盤だと言っていい。そうした周りの人たちに支えられてきたことを感謝しつつ、次回から羅針盤の内容について筆をすすめていきたい。