人生の羅針盤(2)

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生命の炎

以前の記事で、炎を生命のエネルギーとみたてて論じたことがある。

その際、人生とは、エネルギー源を燃やし尽くす過程だと述べた。いかに自分らしく命の炎を燃やすか、というのがその記事のテーマだった。

【図1】

炎が人のエネルギー源という定義は、そのまま踏襲したいが、今回は、まず炎の形に注目してみたい。ある人の生命が、【図1】のような形をした炎だとしよう。言葉が適切かどうかは分からないが、これが平均的で一般的な炎の形状だとする。エネルギーが適切に放出されている状態、と言い換えてもいい。

では、【図2】や【図3】のような形状であった場合を考えてみよう。

【図2】

【図3】

人のエネルギー放出の仕方に違いがある、ということを前提とすれば、様々な炎の形状が想定できる。例えば【図2】のように横に燃え広がる場合もあるし、【図3】のように円を描く場合もある。要するに、炎とは縦横無尽にあらゆる形状で燃える可能性を有している。人間には個体差があり、なおかつ育つ環境面の違いがあることを考えれば、無限のパターンがあると考えるのが自然であろう。

【図1】からすれば、【図2】や【図3】の炎は、自由自在に伸び伸びと燃え広がっているように見えるかもしれない。しかし、これらの形状は、ある種の逸脱したエネルギーの放出と解釈できる。人のエネルギーは、必ず社会との関わりの中で制約を受ける。それは、法律だとか習慣といった枠組みに限った話しではなく、もっと広い包括した概念で、人間としての宿命のようなものからの制約である。

人は生まれた瞬間から親や家族との交流が始まり、死ぬまで(家族以外の人間を含めた)他者との関わりを持たざるを得ない生き物である。そのことこそが、人が人である所以であり、他者と共存していく以外に生きる道はなく、社会的な制約からは逃れられない。そういった宿命を背負って生きるしかないのだ。

ともすれば、社会との関わりの中で、社会的制約と、個人として持つ人的なエネルギーは何らかの形で折り合いをつけていくことになる。しかしながら、すべての個人を満足させるような、社会的な枠組みというのは創りえない。必然的に、社会が許容する枠組みに収まらない個々のエネルギーの放出や衝突が往々にして起こり得る。

そのエネルギーが「生きづらさ」に繋がり、負のエネルギーとして放出してしまう場合が多々ある。具体的に言えば、前回の記事で示したように、自暴自棄になって犯罪を犯す、無気力になって引きこもりになる、怪しげな宗教を盲信する等々の行動として現れる。

【図2】や【図3】の炎は、何かしらの苦しさや孤独、絶望を伴ったエネルギーの放出を表しているともいえる。逆説的に聞こえるかもしれないが、ある種の枠組みから逸脱した炎は、自由意志で燃え広がっている状態ではなく、無自覚的に制御不能な状態に陥っているのである。

羅針盤 人生の軸

では、そういった負のエネルギーに対して、人はどのように対処していけばいいだろうか?重要な役割を果たすのが、今回のテーマである羅針盤である。羅針盤というのは、何か具体的な物体をさしているわけではない。ただその効用は、まさしく羅針盤そのものである。ここでは、自分の生きる道を見定めるために必要な考え方、のことを指す。

その考え方は、人生における軸のようなものと言える。イメージでいうと【図4】のようなかたちになる。

【図4】

ちょうど四角柱のような形状をしているが、この「軸」が、エネルギー体である炎の真ん中にどっしりと鎮座することで、炎がまっすぐと燃え上がる目印となり形状が落ち着いてくる、そういったイメージである。

例えば、【図2】のように横に伸びている炎が、軸の働きによって徐々にその形状を変化させ、炎そのものが、すっぽりとその軸内に吸いよせられていく。軸自体は羅針盤としての意味合いを持つが、目印としての効用があるので、炎が磁石のように軸に引きつけられる、といった具合である(【図5】)。

【図5】

炎が、軸に沿った形で燃えていれば、地に足をつけて人生を歩んでいる状態といえる(【図6】)。ただし、この状態にあるからといって、そのままずっと維持できるというわけではない。炎は、軸を飛び越えて無秩序に燃え広がる可能性が常にある。

【図6】

それは、軸自体がその人自身の常日頃の思考や価値観によって、大きさや形状が変化するからである。軸である四角柱が小さくなれば、枠内に炎が収まらず、それだけエネルギーが拡散しやすくなる。逆に四角柱が大きければ大きいほど、枠内におさまりやすいので、生命のエネルギーが安定した状態になる。つまり、四角柱の大きさをなるべく大きく保つことが、心の平穏や安定を維持するためには必要なのである。

抽象化と具体化

軸の土台

四角柱の大きさであるが、その土台となるべき「思考方法」に大きな影響を受ける。軸を大きく、そびえ立たせるためには根本の土台の面積を広く確保する必要がある。【図7】で示した青い部分が、軸の土台となるべき部分である。

【図7】

土台に乗る四角柱の底面積が広くなればなるほど、軸自体の全体像が大きくなる。土台の面積が小さいままだと、必然的に四角柱全体の容量は、それ以上大きくならないので、炎の揺らぎを制御することが出来なくなる(【図8】)。そうならないように、土台の縦幅、横幅を広げる思考法を身につけておく必要がある。

【図8】

では、土台の面積を広くする思考法とは何か?今回取り上げている軸の本質とは、思考の様相そのものである。つまり、土台を広げるとは、思考の振り幅を広げる効果があると同時に、軸をより深化させ、人としての思考の厚みを持たせることに直結する。土台の基本的構造は、次のような仕組みとなっている(【図9】)。

【図9】

土台は四角形の形をしているが、辺の長さは人よって正方形にも長方形にもなりえる。横の辺の長さが、具体化の増減を示しており、縦の辺は、同じく抽象化を表している。

つまり、抽象化の思考が足りない場合は縦の辺が短くなり、逆に思考を積み重ねると辺が長くなる。具体化の場合も、横の辺で同じことがいえる。この両辺のバランスが重要であり、例えば、抽象化の思考が乏しく、具体化の思考ばかりに偏ると、土台の形が細長い長方形となり、その上に乗る「軸」は、必然的に細長い立方体にしかなりえず、極めてバランスが悪くなり、炎の勢いに抗えず、グラグラと揺らいでしまうことになりかねないのである(【図10】)。もちろん、観念的な抽象論ばかりに傾き、具体性に乏しくなった場合でも同じことが言える。

【図10】

抽象化と具体化の効用

次に、抽象化と具体化とは、どのような違いがあるのか見ていきたい。抽象化とは、物事を形がない目に見えないものにすることであり、逆に具体化とは、目に見えない概念等を目に見えるものにするということである。

個別的な複数の事象を、まとめて扱うのが抽象化である。動物を例に挙げて考えてみる。この地球上には、様々な動物がいる。動物という概念自体、人間が抽象化で作り出した言葉であり、目にすることは出来ない。生物という括りで見れば、自然界には植物も存在する。それを、わざわざ動物という括りを作ったのは、人にとってそういう呼称があった方が、人同士のコミュニケーションに便利だからである。

同じように考えていくと、動物の中には魚や虫もいる。虫の中には、バッタやカブトムシがいる。バッタの中には、トノサマバッタ、オンブバッタがいる…と無限に抽象化でグループとしてくくることができる。あるいは、まだ世の中にない括りをつくりあげたり分類したりすることで、新たな発想が誕生するのである。

さらに例を挙げてみよう。犬には、様々な犬種がある。ダックスフンド、ポメラニアン、チワワ、柴犬、ブルドッグ等々、ぱっと思いつくだけで数10種類は挙げられる。それらをまとめて「犬」という言葉で扱うのも抽象化である。犬という言葉がなければ、Aさんの飼い犬の場合はダックスフンド、Bさんの場合はチワワと、その都度違う言葉を使わなければならない。

物事をいちいち具体的に言うと、往々にして効率的ではなくなる。「そこにある本を棚に戻して下さい。机にある皿は、食器棚に戻して下さい。床は掃除機をかけて下さい…」と延々と個別に述べるよりも、「この部屋を掃除して下さい」と一言いえば済むように、抽象化によって、我々の意思疎通が非常にスムーズになると同時に、物事をまとめやすくなり、さらには様々な点で応用が利くのである。

抽象化は既存の言葉だけではなく、現在進行形で進んでいる事象を分析したり説明したりする際にも役立つ。例えば、介護や医療の現場で実施されている事例検討であったり、ケアカンファレンス等も抽象化の思考が不可欠である。

例えばAさんというケースがあったとする。事例検討を行う際、Aさんの既往歴、介護が必要になった経緯、家族状況、介護力、自宅の状況等々、具体的な事実を確認していく。その上でカンファレンスの参加者は、過去に自分が対応してきた経験や今まで学んできた知識や見識を総動員して、Aさんのケースを俯瞰する。すなわち目の前にある具体的なピースの数々を、自分の脳内にある概念で組み立て直す。その手順は、まさに抽象的な思考を駆使しているといえる。

その際、Bさんの場合には有効だったアプローチが、Aさんの場合は、経済的な条件や身体的な条件が違うから、違うアプローチがいいのではないか、だとか、Cさんの場合は挑戦してみようという気持ちが旺盛だったので上手くいったが、Aさんの場合は、まだサービスに慣れていないからもう少し今のままで様子をみようなどと、数多くの想定を踏まえてベストなアプローチが提案される。この時、介護サービスの実施等、あらためて具体化の手順が試みられていくのである。

以上のように、人の思考は抽象化と具体化を行き来して、その広がりを見せる。抽象と具体の往復が、人の頭脳的活動の根本であり、「軸」の土台となる。自然現象が科学的に理論化(抽象化)され、その法則を使って様々な工学的な発明、例えば自動車、飛行機、家電製品、医療機器などを生み出してきた(具体化)ように、人は様々な場面で抽象化と具体化を繰り返し、文化や文明を発展させてきた。

すなわち、人類の宿命として、どちらか片方だけの思考に偏るならば発展や成長はあり得ないし、人生そのものについて思考をめぐらす際も、同様の考え方が当てはまるのである。

抽象論の分かりやすさ

よく「具体的な話しは分かりやすく、抽象的な話しは分かりにくい」という一般論から、「抽象論は実践的ではない」という意見が散見されるが、その意見は半分正しいといえるし、半分間違っていると言える。なぜなら、具体的な事象をいくら述べようとも、それは事実の羅列にすぎず、事象1、事象2、事象3とずっと横並びに話しが続いていくだけだからである。まるで百科事典のように内容が並ぶだけで、発展性とは何も関連が生じないのだ(かといって、具体的な事象を増やすために、経験を積んだり知識を学ぶこと自体を、否定しているわけではない。抽象化のプロセスを得なければ宝の持ち腐れになってしまう、ということである)。

逆に抽象論に傾きすぎると、それは言葉遊びにも似た空想家、夢想家の類いに陥りかねない。抽象化の作業は、具体的な事実や経験としっかりと結びついて、初めて有効性を帯びてくる。抽象的で分かりにくい、という場面に出くわしたら、それは比喩が適切でなかったり、具体的な現実とリンクしていないため、他者に伝わりにくくなっているのだ。

具体的な事実や経験を、同じ枠でくくったり、因果関係で結び付けたり、分類したり等の「抽象化」という縦の動きがあって、初めてそれぞれの事象・事例に新たな意味づけがなされる。そうやって新たな解釈のもとに具体的な事象・事例を増やしていくのが健全な思考といえる。図で表すと【図11】のようになる。

【図11】

一つの事象・事例を、そのまま横に展開しても関連性が定義されなければ、独立した事象が併存するだけになる。一度、抽象化の過程を経て具体化された事象・事例であれば、むしろその存在意義に対する理解は、容易になるはずである。このように抽象化・具体化のプロセスを繰り返し行うことで、思考の幅が広がっていくのがお分かりいただけるだろう。

羅針盤を図で示す

最後に、今回のシリーズにおいて、自分なりに注意を払っておきたいことを述べておく。今回、図を多用したのは、まさしく抽象化の過程を、記事内で体現しているからである。人生における思考のめぐらし方、のような複雑なテーマをまとめ上げるのは至難の業である。それこそ、具体的な事柄だけで説明しようとすれば収集がつかなくなる。

思考の内容を図で示す、というのは、ある意味究極の抽象化である。人生の様々な場面で応用が利くように、羅針盤の内容を、四角柱の図形をもとに、なるべくシンプルに体系立てて説明を試みたいのである。そうすることによって、広く汎用性がある内容に仕上がれば、と思っているのだ。

しかし、説明の仕方が独りよがりな文章にならないように、折に触れて具体的な事柄や例えを差し込みながら、記述をするつもりである。次回からは、羅針盤の心臓部である「軸」の内容についての説明に入っていきたい。

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