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ケアマネジャーと書類
ケアマネジャーは、ケアプランをはじめとして多くの帳票作成業務がある。実際にサービス利用に繋げるまでに、そして利用開始後も多くの書類をサービス事業所とやりとりする必要がある。同じ法人でもないかぎりグループウエアで情報を共有できないので書類を届ける手段は、手渡し、郵送、FAXのいずれかになる。
思うにこの紙ベースのやりとりというのは、非常に業務効率が悪い。ICT(情報通信)化することで、業務効率が改善できると思うが、それを導入する環境としての素地が業界的に充分に整っていない。つまりは紙でやりとりする仕組みが出来上がっているため、それを変更しようとする取り組みが遅々として進まない。というか、それが当たり前になってしまって変更しようとする発想すらないように見える。
FAX自体、世界的にみればほとんど使用されなくなっている潮流なのに、日本では未だに書類伝達の中核を成している。僕の職場では、個人情報保護のため書類の必要箇所にはマスキングをし、誤送信を防ぐため送信時にもう一人職員が立ち会ってボタン操作をチェックしている。この作業がいちいち面倒で作業効率を著しく低下させている。
以前の上司は、国保連に伝送処理したデータ等をすべて印刷して束ねておく作業をしていた。PC上にデータが残っていれば、それで事足りると思ってそう尋ねてみたが、いつ行政の実地指導が来ても困らないように常に準備しておくとのことだった。数年に1回あるかないかの実地指導のために、毎月、紙代と時間を消費するのはご苦労なことである。その時に必要分だけプリントアウトすればいいだけだと思うのだが、それでは納得しないらしい。こうなると、紙の資料を作っておくと安心とか、資料置いておいてコレクションするのが嬉しいとか、個人の嗜好レベルの問題である。とどのつまりは、今までのやり方を変えるのが、面倒であり不安なのである。
日本の労働生産性と人材能力
労働生産性と人材能力のデータ比較
様々なところで言われるようになったが、下の表を見てもわかるとおりOECD加盟国で日本の就業者一人当たりの労働生産性は決して高くない。順位は、主要先進7カ国(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)で最も低い水準となってる。

出典元『公共財団法人 日本生産性本部』労働生産性の国際比較 2017 年版
かと言って、人材の質としての評価はどうかと言えば、逆に高い位置を維持している。前述の調査と似たような対象国(OECD加盟国等)が参加し、16歳~65歳までの男女個人を対象として、「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力」を国ごとに比較した調査がある。
この調査結果を見てもわかる通り、ほぼすべての項目において日本は平均得点で参加国中第1位という結果を出している。どういうことかというと、人材の能力としては世界でトップクラスのレベルにあるものの、仕事の成果としてはそれに見合う結果は全く出せていないということである。人材能力と労働生産性は、高い相関関係にあるが、日本についてはそれが当てはまらない。つまり特殊な理由が能力の発揮を妨げているのである。
とある銀行のエピソード
以前聞いた話しだが、とある日本の銀行では出張する際に提出する申請書類があり、メールで添付ファイルで送られてくる。この添付ファイルをプリントアウトして印鑑を押す。その印鑑を押した書類を今度はスキャンしPDFにして次の人にメール添付する。その工程を何人もの人が、印刷、押印、スキャンと繰り返すそうである。冗談かと思うくらい無駄な作業だと思うが、何となくそうなった経緯は想像できる。銀行は昔から印鑑を重要視してきた文化があるから、そこを変えたくない勢力との折衝の果てに残ったのが非効率極まりない作業工程なのだろう。
効率化への課題
冒頭のケアマネジャーの仕事の話しに戻るが、膨大な事務作業の効率化を個々のスケジュール管理や精神的な踏ん張りに期待するのは限度がある。ICT化することで、おそらく3~4割は業務を削減できる。システムの移行には混乱はあるが、全体的にみれば大幅にコストを下げることが出来るはずだ。帳票が増えるなら、それをどのように処理するかは、業界全体で取り組むべき課題だが、そういうことは議論の遡上にもあがらないし、何故か今までの仕組みを変えずに個人の頑張りに注力するのである。
きっと日本中の至るところで、漠然と従来の仕事のやり方が踏襲されている。それが積み重なってギクシャクとした動きの鈍い図体が出来上がってしまった。「日本には日本のやり方がある」「周りが変わる気がないのに自分が何言っても無駄だ」「面倒なことには首をつっこみたくない」そういう思考回路こそが、一番のネックになっている気がするのである。せっかくの能力を充分に活かしきれない環境にとどまり続けるデメリットは計り知れない。紙や印鑑にこだわっている場合ではないのである。