年齢と時間

大人と子供の体感時間

最近、このブログのプロフィール欄で、自分を「40代」と紹介していることに気付いた。ついこの前40代になったような感覚でいたのだが、いつの間にか、もうそろそろ50代に突入しようとする年齢になってしまった。

さりげなくプロフィールを「40代」から「アラフィフ」に変更しつつ、自分の40歳代の人生を振り返ってみると、あらためて時間があっという間に過ぎ去ったことを痛感する。

たまたま、この4月に転勤があって新しい職場に通い始めたのだが、今までの職場には11年ほど勤務していたので40代のほぼすべてを同じ職場で過ごしていたことになる。

人生の中で11年といえば、それなりの年数である。確かに長かったといえばそうも思えるのだが、年齢を重ねると時間の感じ方が子供の頃と比べるとえらく短く感じるものだ。

11年間とは、小学1年生(6歳)が高校2年生(17歳)になる歳月ととらえれば妙に納得できる。実際、自分が小1だった頃、一学期をくぐり抜けるのでさえ、相当長く感じたし、6年生なんてはるか先のお兄さんお姉さんたちに思えた。ましてや高校2年なんて想像の範囲を超える未来だった。

大人になれば、時間の進み方が早く感じるのは、全ての人が体感している事実だろう。その理由として、大人になれば以前と同じような経験を積むので時間が短く感じるのに対して、子供の頃は初めて直面する経験・体験が多いから体感時間が長いんだ、というような説明を受けたことがあるだろう。

確かにそれも、もっともな理由だと思う。しかしそれだけでは説明できないもっと根本的な理由がある。感覚的なものではなく、もっと生物の有り様に根ざした理由である。

物理的時間と生物的時間

生物学者の本川達夫氏は、物理的時間に対して生物的時間という概念を提唱している。物理的時間というのは、普段われわれの生活に当たり前のように溶け込んでいる「時間」のことである。例えば、1時間2時間という時間の長さであったり、刻を示す1時や2時と言った時計の針が示す時間が物理的時間である。

それに対して生物的時間というのは、生物自体の視点から感じる時間のことである。その原理は、生物の体の中で繰り返し起こる現象の周期を単位として図るというものである。具体的に言うと、心臓の鼓動であったり、呼吸の回数等を時間の単位とするものである。

例を挙げてみると、ハツカネズミの心臓は、物凄く早く打っていて1回の鼓動は0.1秒もかからない。それに対してゾウの鼓動は、1回に3秒程度かかる。さらに寿命でみると、ハツカネズミは2~3年、ゾウは70年近く生きる。そしてどちらの生物も一生の間に心臓は約15億回の鼓動を打つ。

物理的時間で測定すれば、両者の寿命は30倍以上の開きがあり、ハツカネズミは随分と短命で可哀そうだな、と思うかもしれない。しかしそう思うのは、人間が勝手に作った尺度でみているからである。おそらくハツカネズミの体感では、ゾウが体感する寿命とほぼ同じ寿命の感覚として一生を終えるはずである。

ハツカネズミは、その2,3年の寿命の中でゾウから見たら物凄いスピード感で生を全うしているのである。ハツカネズミが細かい動作でワチャワチャと動くのも、そういう生物的時間の中で生きているからである。ゾウがゆっくりとした生物的時間で動いている間に、ハツカネズミは30倍の速さで彼らの生物的時間を歩むのである。つまり動物は、それぞれの動物の時間で生きていると言える。

そしておもしろいことに、動物の心周期(心臓の鼓動)は、体重の4分の1乗に比例すると言われている。すなわち体が大きい動物ほど心臓はゆっくり打つのである。【図1】は、その関係性を表したものである。

【図1】

そしてもう一つの法則を見てみよう。体重が増えれば、それだけエネルギー消費量も増えるが、体重の増え方ほどは増加はしない。大体の数値でいうと体重が2倍になればエネルギー消費量は1.68倍、10倍だと5.62倍になる。すなわち、標準代謝量は体重の4分の3乗に比例するという関係が成り立つ(【図2】)。

【図2】

つまり、動物のエネルギー消費量は、大きい動物は体のわりにエネルギー消費量が少ないと言える。動物は何をするにもエネルギーがいる。細胞が動くにもその原料となるのはエネルギーである。ゾウの細胞は、ネズミの細胞と比べて5.6%しかエネルギーを使用してないらしい。言い換えれば、大きな動物ほど、細胞レベルから活動をさぼっているともいえるのだ。

さてさて、これらの事実を基に人間に当てはめて考えてみると面白いのでないか?その点をこの後検討してみることにしよう。

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