性差から社会を読み解く(4)

久々とこのテーマについての記事を書こうと思う。性差を生物学的視点から眺めてみると、世の中を色々と変わった切り口でとらえることが出来て面白い。

性差から社会を読み解くー振り幅の広さ

男性の特徴ー個別能力の多様性

世の中に変化をもたらす因子としては「多様性」がキーワードとなる。多様性が意味することは、対象の端から端までの振り幅が広いということである。生物としては男性が主にその役割を与えられているという背景がある。すなわち個別の能力の違いが大きいというのが男性の特徴のように思えるのである。

例えば、腕力であれば一般的に女性より男性のほうが力があるが、男性でも人によってだいぶ違う。力が強い人は強いし、そうでない人も沢山いる。相対的に腕力をつけやすいという特性は、力仕事に適しているというよりも、能力の振り幅を広げるためでないかという推論も成り立つ。

男性のほうが、一般的に競争意識が高いというのも、個別の能力を競わせることによって違いを際立たせることに役立っている。競争の結果、中にはとんでもない能力を発揮する人がでてくる。それはそれで、社会に貢献する人もいるだろうが、逆に悪用する人も出てくる。能力自体にいいも悪いもないが、社会としてみると多様性が増し、相互に影響し合い、社会が活性化するという効果はあると思う。

創造性が社会に与える影響

そう言う意味で言うと創造性の発揮は、まさしく社会を多様化することに他ならない。もちろん全ての物事が男性によって創り出されたわけではないが、価値や考え方の多様化には、男性性の象徴である創造性が大きく貢献したことは間違いない。

ただし男性の能力の振り幅が広いことイコール優劣の問題とは全く別のことだというのは強調しておきたい。もの凄く身を粉にして一つのことに没頭して偉業を成し遂げる人がいる反面、連続殺人やテロリズム等のとんでもない犯罪に手を染める人もいる。どちらにしても割合として男性が多いのは、やはり極端に走りやすいという特徴があるからだろう。

そしてその一つひとつの能力が社会にとって有益かどうかは、時代や地域によって異なる。例えば腕力が強いことは、原始時代には重宝されたかもしれないが、現在では一部の体力を使う仕事か一定のスポーツで有益であるとしても、多くの仕事ではそれほど重要視されてはない。

演じる側と観る側

さて、性差において「振り幅の広さ」が一つの特徴とすれば、「演じる側と観る側」という特徴も挙げてみたい。男性の振り幅の大きさは、見方を変えれば、個々の能力や個性が、好むと好まらずとに関わらず、社会に参入し、その個性がお互いにぶつかり合ったり協力し合うことを促進するわけである。その過程を通じて、間接的に女性に対するアピールも含まれるとも言えるのである。

生物として、種を存続させるために雌は雄を作り出した。いわば多様性の宝庫である雄の中から雌は優秀な種を見つけて子孫を残さなければならない。我々のDNAの奥底にはそう刻み付けられていても不思議ではない。

もちろん現在において、子孫を残すことが至高の使命ということではでは決してない。しかし生物学的な一つの視点としてとらえると、色々と視野が開ける点も多いのではないだろうか。

予備校講師と芸人の特徴

「演じる側と観る側」という視点から考えると、僕は予備校講師と芸人を連想してしまう。仕事の目的としては、予備校講師であれば、わかりやすく生徒に伝え理解させることであり、芸人であれば観客を笑わせることである。どちらの職業も表現方法を切磋琢磨し磨き上げ、競争が厳しいが故に選ばれた者たちだけが生き残れる世界である。

どちらの職業も圧倒的に男性が多いのは、やはり他者に対するアピールや表現に対するこだわりが強い人が多く、かつ競争する環境が整っているからである。そして、その競争を勝ち抜いている人たちのパフォーマンスのクオリティは圧倒的に高いのである。

逆に女性は、どちらかというと社会を劇場と見立てると、観客の立場でいることが多いような気がする。選ぶと言うとあからさまであるが、多種多様性を観るというスタンスである。

観るというのは、じっくりと吟味することでもあるし、純粋に人生の味付けとして楽しむことでもある。こう考えると、テレビの観客席や観劇客に圧倒的に女性が多いのもうなづけるのである。

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