手のAI化がもたらすもの

マッサージとマッサージチェア

よく行くスーパー銭湯で、宇宙空間のような無重力状態に似た体験ができるという触れ込みでマッサージチェアが置いてあったので試してみた。感想は…マッサージしながらイスが左右に揺れるだけで、何の変哲もないマッサージチェアだった。それにも増して機械によるマッサージは、どうしても単調になりがちで、自分としてはなかなか満足感が得られない。

これまた、よく行く整骨院があるのだが、思うのはやはり人の手で行うマッサージの方が機械より格段に気持ちがいいということである。微妙な力加減や手の暖かさはもちろん、施術する人が自分の身体の特徴を知るにしたがい、いちいち説明しなくても、その時の身体の調子に合わせて身体に合った施術をしてくれる。これは機械には出来ない人ならではの配慮である。

手は人類発展の源

AIの発展が話題になるようになって久しい。動作機能としても、歩行動作等は人にだいぶ近づいてきている感がある。しかし、手と手指の動きに関しては、まだまだ人間に遠く及ばない。マッサージのような微妙な動きを要求される時、機械では代替出来ない。

そもそも最も人が人たらしめている部位は、手だと思うのである。目や耳の機能はとっくに機械に負けているし、人間より優れた能力を持つ動物もたくさんいる。猫は人の2倍、イルカは6倍の聴力を持ち、ダチョウは10km先のものが見えるという。しかし人のような繊細で複雑な手の動作が出来る動物はいない。

手が変芸自在に動くからこそ、文明が発展したとも言える。道具を創り上げるにも文字を書くのも手が不可欠である。道具が使えれば、建物や穀物が作れる。それが発展して社会インフラが出来る。文字が書ければ、後世に記録を残せる。それが文学、音楽といった芸術や、法律、宗教のような仕組みや制度にも発展する。

正確にいえば、手と頭脳、さらに他の五感とリンクしてその機能の多様さが発揮される。先のマッサージの例でいえば、マッサージされている側の反応を目や耳等で拾いとって、こうしたほうがいいだろうと頭で瞬時に判断して、その判断を手の多才な機能によって表出させるわけである。手を充分に使いこなしたからこそ、人類が発展してきたともいえる。

今後の社会は

介護の世界では、人の手が重要な役割を担っている。それこそ、相手の反応を見た臨機応変な対応が重要である。介護される側の個別性もあるし、感情面での交流も人ならでは出来ることである。一見AIでの自動化からほど遠い現場に思える。手の再現化が難しいため、比較的AI対象の議論から外れていたともいえる。

しかし、実際どうなるかは、よくわからない。確かに、今はまだ機械は人間の手の動きを完全には再現できないが、ロボット工学分野の進展は著しい。近い将来、ほぼ人間と同じような手をもつAIができるかもしれない。そうしたら介護やマッサージの分野でもAI化が進むのであろうか。

僕はAI化を介護の分野であろうとも、どんどんと導入すればいいと思う。このまま抜本的な対策をたてないと、人材難、コスト面、急増する需要等、問題は山積しており太刀打ちすることが困難だと思う。かといって全てAIに置き換わるかといったらそれもないだろう。先ほどいったように、介護の質をあげるには、人ひとり違う背景を考慮すること、感情面を配慮した応対が不可欠であるからである。

AIに仕事を取って代わられるというよりは、上手く使いこなせれば一番いい。そうなると、AIにできることは、仕事として減っていくことが予想される。今、深めておいたほうがいい能力があるとすれば、人は何を望んでいるのか知ること、つまり人について深く知ることだと思うのである。そうすれば新しく価値を見いだしそこに活路を得られるかもしれない。


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