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MMTについて
お金の本質に迫るには、MMT(現代貨幣理論)を理解すると分かりやすい。MMTは、近年注目を集めている経済理論で、専門家の中でも、その正当性について賛否両論が渦巻いている。比較的主流派に与する経済学者からは批判が多く、異端扱いとされている。
僕は経済については、素人である。MMTについては、関連図書を何冊か読んでみた程度なので細部についてまでの理解はできていない。ただ理論の基本的な構造は素人でも十分理解できる。むしろ経済の門外漢だからこそ余計な知識がない分、すっと頭に入ってきやすいのである。
MMTは、今までの経済理論の常識を真っ向から覆す内容を含んでいる。故にこれまで正しいとされてきた政策が、本当に国民的の生活のために効果的だったのか多くの疑念を生じさせるのである。
少なくても、違った視点を自分の中に持っておくことは悪いことではない。国にお金がない、という大前提を絶対とすると思考が硬直化してしまう。頭を柔軟にするには、むしろ異端とされる考え方に興味が湧いてしまうのである。
MMTによる財政規律の基準
前回の記事で、自国通貨建ての国債発行で政府がデフォルトしないことは述べたとおりである。
MMTの重要ポイントの一つに、自国通貨を持ち変動為替相場制(政府が通貨を金や外貨などとの交換を約束しない)を採っている国では、国債発行額に原則として制約がなく、財政赤字を気にする必要がないとしている。なぜなら政府にとって財政赤字の額は、民間に貸し出した金額の履歴に過ぎないからである。
であれば、国益上必要な処置、例えば今回のコロナ給付金であったり、防災設備の建設や社会保障の拡充等についても、政府がお金を作って配ることが可能である。その際、財源にこだわる必要はない。もちろん税金で賄った財源を使うこともできるが、国債で賄うこともできるからある。
ただ政府が無尽蔵にお金を供給していたら、市場にお金が出回り過ぎて需要が上昇し市場の供給能力を上回ってしまう。お金は無限に作れるが、財とサービスには上限がある。
例えるならば自国通貨発行権をもつ政府は、自分でお金を作れるのでレストランに入っていくらでも料理を注文できるが、レストランの供給能力を超えて注文はできないのと同じことである。
供給能力を超えてお金を発行すると、過剰なインフレになる可能性がある。お金がだぶつくと需要が過熱し、お金の価値が下がりモノの値段が高くなるので国民が困窮する。なので、そのような状態にならないようにお金の供給量をコントロールする必要がある。
つまり財政規律の基準を税収の範囲内とするのではなく、過剰なインフレにならない程度とするべき、というのがMMTの考え方である。したがって財政の制約を決めるのはインフレ率(物価上昇率)ということになる。
これはMMTに限ったことではないが、基本的に経済理論というのは、物価や賃金を安定させ、完全雇用を達成するためにはどうすればいいか、ということを述べているのである。バブル等を起こさず経済を混乱させずに少しずつ成長させることが政治には求められる。そのためにはインフレ率が大体2%くらいが妥当だと言われている。
その舵取りをどうするか、政府によって方法論が違ってくるわけだが、日本では財政赤字を減らすことを優先に、税収の範囲内に抑えるような緊縮政策がとられてきた。
MMTの考え方に準拠すれば、財政出動は過剰なインフレにならない程度にすると同時に、お金の供給を引き締めすぎるのもデフレになるから良くないということになる。日本は20年以上もデフレを脱却できずに困っているのだから、お金の供給に重点を置いて需要を増やすべきなのだ。財政赤字が多すぎるのでない。積極的に財政出動を図りもっと赤字を増やさなければならない、という発想になる。
今までの日本政府の方針からすれば、MMTはいかにも非常識な主張しているようにみえる。しかしMMT側からすれば、税収の枠内で予算をおさめたから何?って話しになる。政府の借金が減ったとしても、肝心の日本経済自体がボロボロになってしまえば元も子もないのである。確かにいち早く体力をつけて経済の血の巡りをよくしたほうが、経済活動も活発になり税収も増えて結果的に財政赤字を減らせると思うのだ。
税金の役割
ここで税金について整理しておきたい。政府が制限なく国債を発行できるなら、無税国家でもいいのでは?という疑問がでるかもしれない。この点に関してもMMTははっきりと出来ない理由を提示している。
MMTの根幹の考え方の一つとして、租税が通貨に価値をもたせているという点が挙げられる。例えば日本だったら、税金を日本円で支払わなければならないからこそ、納税者の国民は政府の通貨である円に価値を認めて円を集める行動を起こすわけである。
政府はゼロから貨幣を創造して国民に供給し、自国通貨での税金支払いを国民に求める。貨幣自体はただの紙切れだが、人々が紙切れに価値を見出すのはそれで税金が払えるからである。そういう意味で無税国家というのはありえない。
租税の役割としては、政府の財源を徴収することにフォーカスされがちだが、MMTによれば租税の本来の目的は財源調達よりも、経済を適正にまわすための政策手段にある。具体的には①インフレ抑制、②所得格差の調整、③政策税制等である。
①インフレ率が上昇しすぎたとき、増税をしてインフレ率を抑制する。②市場原理に任せておくと、どうしても貧富を差が激しくなるので、政府が税金で所得を再分配する。③喫煙者を減らしたい、二酸化炭素を抑制したい等の政策目標があった場合、課税することで目的を達しやすくする。というように、社会を安定させるため様々な役割が税金には求められるのである。
付け加えるならば、①の政策を逆に言うとデフレに陥っている場合は、減税が有効な手段となる。体力(国内経済)が足りなくてヘトヘトに弱っている状態のところに、さらに血液を引っこ抜いて(増税)体力を弱めるようなことは普通はしないだろう。まずは痛めつけるのをやめ(減税)点滴を打つ(財政出動)等して体力をつけるのが先決である。
特に消費税は、所得が少ない人も含めて国民全員に広く負担を求める税であるから影響が莫大である。消費税減税の効果は計り知れないと思うが、残念なことに過去を振り返れば、政府は着々と消費税率を上げて体力を奪っているのである。
国債の金利は高騰するか?
商品貨幣論の限界
このように政府の負債残高を意に介さないMMTの考え方は主流派経済学からの批判も多い。
代表的な批判の一つが、政府の債務(負債)が増えると国債の金利が高騰する、という批判である。政府の財政赤字の拡大は、民間貯蓄の不足を招き借り手がいなくなり国債の金利があがっていくではないか、ということである。
政府の国債金利があがると財政破綻に近づくのは事実である。ギリシャが財政破綻したときの10年ものの国債金利は年利で40%を超えていた。政府に返済能力がないと思われれば、要するに信用がないということなので金利は上がるはずである。しかし実際のところは、下のグラフを見て分かるように、債務残高が積み重なるにつれ金利は下がり続け今は0%である。

出典:財務省ホームページ
麻生財務大臣も5月12日の記者会見で(金利が)「何で下がるんだ。国債が増えても、借金が増えても金利が上がらないというのは普通私達が習った経済学ではついていかないんだね、頭の中で。」と話している。
麻生大臣が言っているように、従来の経済学ではこの現象を説明できない。今までの経済学では貨幣の価値は、貴金属のような有価物に裏付けられている、とする「商品貨幣論」に立脚しているからである。つまり貨幣というのは、それ自体に価値があって、だからこそ物やサービスと交換できるんだ、という考え方である。
この考え方にたつと、貨幣量は有限であり、預金の結果として貸出が可能となる、言い換えれば国民の家計の貯蓄が政府の債務を支える という間違った議論につながる。
信用貨幣論と信用創造
MMTは、この点を「信用貨幣論」で説明する。これは要するに負債を負ったときに貨幣が生まれるという理論である。貨幣自体に価値を持たせるのではなく、貸し借りの情報としてとらえる。
例えば、Xという会社経営者がいたとしよう。Xの会社は充分利益を出しており、さらなる設備投資で資金が必要なのでY銀行に融資の依頼をしたとする。Y銀行は、Xの審査をして返済能力に問題ないと判断してXに1億円融資をした。その際の原資を、銀行はどこかから調達するかといえば別に何もしないのである。通帳に1億円と記載すれば、そこで1億円が発生する。もちろんその1億円は通常のお金として設備投資に使える。
これは「銀行預金」というお金であり、貨幣として扱われる。世の中で流通している貨幣の8割以上が銀行預金と言われている。普段目にしている現金通貨は2割にも満たないのである。このように銀行が個人や企業に融資したときに、新たな銀行預金が生み出される。これを「信用創造」という。
考えてみれば分かることだが、金額が大きくなればなるほど現金で引き出すことはほとんどない。実際に1億円の現金を手元に置いておくのは危険だし手間もかかる。お金を使う時は、大抵は振り込みや引き落としで処理するだろう。なので現金通貨が必要とされることは実際にはほとんどないのである。銀行側も金額が大きいほうが、金利を多くとれるのでそのほうが都合がいいのだ。
視点を広げれば、資本主義経済は信用創造によって大きく発展したといえる。現代の資本主義社会は大規模な設備投資を必要とするから巨額の資金調達が頻繁におこる。その都度、銀行が元手をかき集めていたら効率が悪すぎる。銀行が気にするのは、元手の原資ではない。相手側に返済能力があるかないかである。
この信用創造から得られる事実は、誰かが負債(借金)を負ったときに貨幣(お金)は生まれる、ということである。逆にいうと誰かが借金をしないとお金は生み出されないのである。
この仕組みを、そのまま政府に当てはめてみることができる。政府が資金調達する場合、日銀の当座預金を介するのでプロセスが少し複雑になるが原理は同じである。
政府が国債を発行して、銀行が引き受けるときの原資は民間の金融資産ではない。銀行からすれば、政府は通貨発行権をもつ優良な借り手である。銀行が国債を引き受けるというのは、銀行が政府に対して信用創造をするということで、民間の資産の制約はいっさい受けない。したがって国債をいくら発行して財政赤字を膨らませても、民間の金融資産が減ることはないし金利が高騰することもないのである。
主流派経済学は、こういった仕組みをうまく説明できていない。従来の考え方だと貸手の財布からお金が無くなって財政赤字は貸手(民間)を苦しめているイメージだったが、MMTは正反対の主張をする。
政府が借金をするからお金が生まれるのである。しかし政府が借金した分を銀行に返済すると、信用創造なのでその分のお金は消滅してしまう。お金の価値が高くなっているデフレの状況下で貴重なお金をさらに消滅させてしまってはさらにデフレを加速してしまう。なのでもっと借金を増やさなくてはならない、ということになる。
ちなみに金利が低いことで財政破綻には結びつかないが、経済全体としてみれば決していい状態ではない。それだけデフレが深刻ということを表しており、企業も個人も銀行から金を借りようとしないから、政府の国債に銀行が殺到して金利が下がっているのである。
MMTを理解すると、世の中のお金について今までとは違った視点でみることができる。この理論を信じるかどうかは個人の見解によるだろうが、少なくても内容を知ることによって世にはびこっているイメージ操作には安易に騙されないようになるだろう。
もちろん打ち出の小槌のように、何でも資金を供給するようなことをMMTは言っているのではない。過度な期待を寄せるのは禁物である。次回はMMTが指摘した状況を踏まえながら、国のお金についてどう考えるか論じていきたい。