本当に国にお金はないのか?(4)

介護の現場からみる財政問題

これまで3回にわたり、国の財源と経済の状態をMMT(現代貨幣理論)に基づいて論じてみた。

経済については自分自身の理解が足りないこともあって、分かりにくい記述になっているかもしれないが、国の財源について一つの視点の概略は示せたのではないか、と思う。

介護の専門家である自分がなぜ国の財源やMMTに興味を持ったかといえば、介護の業界において、あまりにも財源不足の問題が当然のように語られるからである。

満足なサービスが提供できない、介護職員の給料が足りない、度重なる給付制限による使いにくくなる制度等々、それらの原因を突き詰めていくと、結局は「お金がない」という壁に突き当たる。

もちろん財源が足りないことが、質の高いサービスを提供できない理由にはならない。しかし、給付を制限することがあたかも正しいような風潮になると、自由な発想だったり、創意工夫の意欲を萎ませてしまうのも事実である。ギリギリの人数や財源で制度をまわそうとすれば、それは当然の結果である。

ただ単に形式的に、制度の存続を図ろうとしても、それに携わる人たちが疲弊していくような仕組みであれば、徐々に魂が抜けたかたちだけのものになってしまう。金がないんだったら仕方がないと、関係者があきらめの境地に至ってしまうのが制度が形骸化する一番のリスクなのである。

本当に国お金はないのか?

以前、このような記事を書いた。

内容の主旨は、医療・年金・介護などの社会保障制度が、基本的な構造をそのままに複雑化し、さらには給付制限の一途をたどり、なおかつ国民の負担を増やす対処療法をひたすらくりかえすばかりの現実を論じたものである。

このままだと、茹でガエルのように知らず知らずのうちに、過剰な負担にあえぐことになり、介護保険自己負担割合5割、年金支給開始年齢80歳、消費税20%なんて状況になりかねない、と正直な感想を述べた。

不安をあおるような書き方になってしまったかもしれないが、お金がないという前提が正しいとすれば、この記事で述べたことは別に間違ってはいない。

しかし、その前提が違っているなら、もっと別の結論を導き出せたはずだ。

なぜかは、今回のシリーズを読んで頂いた方にはお分かりだろう。そろそろ今回のタイトルに対する明確な答えを提示しておきたい。

本当に国にお金はないのか?

その答えは、「国がお金を供給すればあるし、供給しなければない」だ。

社会保障制度の財源をなるべく国民の負担(税金や社会保険料)で賄おうとしているのが、政府の現在の方針である。

どうにかして、安心できる制度を維持していこう、そのためには無駄を省いて安定した財源を確保しなければならない、と政府は言っているが、今までの経緯からして、その方針が上手くいっているとは言い難いし、ゆえに今後もこのままでは、安心な将来など期待できないのである。

(その辺りの詳しい事情は、拙文【社会保障制度の現状と未来】に詳しく書いた。ただし先ほども言ったように、国が貨幣を供給できる、と前提が変われば、別の論証が組み立てられると思うのである。その検証を次回、あらためてしてみたい)。

社会保障制度の財源について

僕は経済については素人だが、社会保障制度の一部の担い手としてかかわっている者として、財源について調べて意見することぐらいは許してほしい。ただ自分の意見が絶対正しいとも思っていない。門外漢であるがゆえに、謙虚さも持ち合わせておきたいのだ。

それもあって緊縮財政が正しい政策だと証明できる根拠を、いろいろと調べているのだが、今のところ納得する説には出会えていない。むしろ事態を悪化させているとしか思えないデータが次々と目に付いてしまう。

GDPとの関係

素朴な疑問として、仮に社会保障制度を支えたいなら、安易に増税に結びつけてしまっていいのだろうかと思う。むしろ重要なのは、国民総生産(GDP)を拡大することではないだろうか。

簡単に言うと、GDPとは一定期間内に国内で生み出された稼ぎの総額である。例えば、外食でレストランを利用したとしたら、レストラン側は消費者から代金を支払ってもらい、その代金が所得となり、稼いだ所得から一定割合を政府に税金として納める。国内の消費活動が増えれば稼ぎも増える。つまりGDPが拡大すれば、政府の租税収入は何もしなくても増える。政府の租税収入はGDPと相関関係にあるのだ。

社会保障の財源確保として消費税を増税したとしても、デフレ下においては消費活動が滞るのでGDPを押し下げ、特に法人税や所得税等の直接税の落ち込みが大きくなり、税収全体では増収にはならない。その逆に赤字国債を発行して需要を支えれば、GDPの増加に貢献し、税収も増えることになる。

実質経済成長率の比較

次に世界的なデータを見てみよう。GDPの変化をみれば、経済成長率が分かる。

経済成長率  国内総生産(GDP)などで測った一国の経済規模が一定期間に変化した率。時価評価の名目GDPを用いた名目経済成長率と物価変動の影響を除いた実質GDPを用いた実質経済成長率があり、景気あるいはマクロ経済の最も重要な指標。単に経済成長率という場合は実質経済成長率を指すことが多い。

知恵蔵より
ネット上には、各国の成長率を名目GDPで比較した表が出回っている。これだと、物価が上昇している国の成長率が高く表示されてしまい、日本のようにデフレが長く続いている国は著しく低くなってしまう。
名目GDPと実質GDP
名目GDP … ものやサービスの付加価値を合計したもの
実質GDP … 名目GDPから物価変動を除いたもの
上記定義のように、より実態を反映した成長率は実質GDPを用いたものになるので、その条件を満たした表を引用したい。途上国を含めると成長率のベースの相違が開きすぎるので、比較対象はOECD加盟国(比較的経済が成熟している国々)のみとしている(引用元:ちなみに出典元はUNEMPLOYMENT ECONOMICS、データ引用は国債通貨基金(IMF)の世界経済見通し(World Economic Outlook)となっている。
ご覧のとおり、日本の実質経済成長率は36か国中、34位。残念ながら、この20年で大きな後れをとってしまったことは間違いない。
もちろん経済成長率が伸びない原因は、いろいろと考えられるだろう。世界的な産業構造や技術革新の変化に乗り遅れてしまったり、生産性の低さであったり、と数々の要因は考えられるが、経済は複雑であり簡単には正解は導き出せない。

政府財政支出とGDPの相関関係

今回注目したいのは、政府財政支出とGDPの相関関係である。今まで述べてきたとおり、MMTをベースにした考え方によると、デフレに陥っている状況では財政支出が有効な手段となる。
しかし、下表(出典:財務省資料(令和元年10月))を見て分かるように、日本は他のOECD諸国に比べ、財政支出の少ない国である。「大き過ぎるから抑えるべきだ」と言われている社会保障費でさえランキングの中ほどの順位である。
そこで各国の財政支出とGDPの伸び率の相関係数を調べてみた。この場合でも、名目GDPベースでデータを作ると、インフレ率が高い国では財政支出とGDPの伸び率がどちらも高く出てしまう(逆にインフレ率が低い国はどちらも低くなる)ので、物価変動率を除いた実質GDP伸び率と実質財政支出の伸び率の相関関係を表したグラフを引用してみる(引用元:UNEMPLOYED ECONOMICS  国債通貨基金「World Economic Outlook Database April 2019」を元に作成。対象国はOECD加盟36か国)。
この表から見てとれるのは、先進国の実質経済成長率と実質一般政府総支出増加額においては0.75という強い相関関係がある、ということである。
相関係数
相関係数は、2つの確率変数の間にある線形な関係の強弱を測る指標である。相関係数は無次元量で、−1以上1以下の実数に値をとる。相関係数が正のとき確率変数には正の相関が、負のとき確率変数には負の相関があるという。また相関係数が0のとき確率変数は無相関であるという 。  Wikipediaより引用
もちろん、これは相関関係を証明しただけなので、因果関係は【政府支出増加→GDP増加】かもしれないし、【GDP増加→政府支出増加】かもしれない。複雑化した実体経済においては、これといった原因を簡潔に述べるのは難しいとは思う。しかし、かなりの確率で政府の支出によってGDPを底上げできる可能性があると考えられるのである。

緊縮財政に対する懸念

以上のような状況を踏まえると、このまま緊縮財政を基本とした政策を続けることに関して、僕は強い疑念を抱かざるを得ない。今回のコロナ危機において、いったんプライマリーバランスを維持するという方針は外されたようだが、そのあと財政健全化を目論む一派が「未来にツケを残すな」と今回の支出分の補填にと、さらなる増税を求めてくるかもしれない(実際に東日本大震災の後に復興特別税が創設された)。
いち早くデフレを脱却しなければならない危機的な状況にあるというのに、さらに崖底に突き落とすような主張が度々なされていることに暗澹とした気分になる。百歩譲って、それが安心できる未来のため、というならば、安心の意味をもう一度考え直したほうがいい。

社会保障制度と安心感

確かに、政府支出のうち現状ではかなりの部分が公債の支出で賄われている。もちろん社会保障も例外ではなく、介護を必要とする人、障害を持つ人、失業中の人等、生活保障のために政府が借金をして制度を支えているという側面はある。
ここで例のプロパガンダがまことしやかに流布される。公債つまり赤字国債は国の借金だから未来の国民に負担がかかる。そのようなツケを未来にまわさないために今のうちに借金を減らそうと、もっともらしい言説がまかりとおるのだ。
当然だが今、現役として働いている人たちもいずれ高齢者になるので、介護を受ける状態になる可能性が充分にある。高齢者にならなくても、病気になって働けなくなるかもしれない。そうなった場合、国の社会保障制度がしっかりしていたら、何とか生活していけるという安心感をもたらす。少し落ち着いて働こう、と心の余裕も出来る。逆にその安心感がなければ、現役世代の不安はつのるばかりである。国の制度に信頼を置けなければ、その仕組みをあてにせず自分で自分の身を守ろうとするだろう。
社会保障制度というのは、社会的弱者を守るという側面と同時に、現役世代に安心をもたらすという重要な側面もあるわけである。社会の全構成員を含めた視点がなければ社会そのものが不安定になる。未来を気にするあまり、現在がボロボロになってしまえば元も子もない。とすれば、未来にツケを残すな、という主張は一元的な見方しかできていない、といえるのだ。

国債の役割とその意義

次に国債の役割について述べておきたい。国債は政府の債務なので、確かにいずれは返さなくてはならない。ただし政府は、償還期限が到来したら、また国債を再発行してそのまま借り換えることができる。原理的には国債の借り換えは永遠に繰り返せる。これを未来への国民へのツケだというのは片方の事実しか見ていない。
未来に残すべきは、安心して暮らせる社会保障制度であったり、災害から守るインフラであったり、生活を豊かにする文化であったり、未来の国民が人生を豊かに過ごせる環境そのものであろう。
今その維持が難しいならば、政府が財政支出をして、安心して利用できる制度やインフラを整備して未来に継承していくのが重要なのである。お金の使い時を間違えれば、それこそ大きなツケを未来に残すことになる。
現役世代が残した制度や環境の上に基づいて、未来の世代が安心して暮らせるのであれば、政府の債務を未来の世代に継承するのは、それほど理不尽なことだろうか?国債をうまく利用すれば、世代を通じて負担やリスクを分散させることができるのである。
そのためにはGDPの増加が必須である。名目GDPが増えて、その伸び率が債務残高の伸びより高くなれば、GDPに占める政府残高の割合は縮小していくことになる。税収も増えて債務は減っていく。
だからこそデフレを脱却して経済成長率を伸ばすことが、国民の生活に安心をもたらし、将来への負担軽減につながるので、二重の意味で優先されるべき課題なのである。
だいぶ課題も明確になってきた。事態を打開するための解決策を次回は探っていきたい。
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