本当に国にお金はないのか?(5)

社会保障制度の財源に対する考察

今回のシリーズで論じた国の財源について、社会保障制度、特に介護業界が置かれている状況を通して、復習の意味もこめて、シリーズの最後に、まとめておきたい。そもそも僕の疑問の原点は、社会保障の財源不足から発しているので、それに対する考えをある程度形にしておきたいのだ。

少子高齢化と制度の硬直化

これは、去年の9月に書いた記事である。

この記事を書いた時点では、MMTに基づいた貨幣の仕組みを全く知らなかったので、僕自身、国の財源が足りない、という思い込みに縛られていた。

記事の主旨は、社会保障の財源が逼迫しており、その負担のしわ寄せが国民に今後ますますのしかかってくる、というものだ。

その論拠として、主に①少子高齢化の進行と、②制度の硬直化の2点を挙げた。

①について言えば、今となってはこの流れはしばらく止まらない。仮に出生率が近年中に上昇したとしても、人口ピラミッドの形態が改善するには数十年先のことだ。これは厳然たる事実なので、如何ともしがたい。そうなると少ない人数(現役世代)で大勢の人を支える(高齢者世代)を支えるという発想になりがちである。

②に関しては、社会保障制度が複雑かつ巧妙に作られていて、制度の大枠をこのまま維持しようとする作用が働いている、という点を述べた。②の論点については、社会保障制度の現状と未来(3)でさらに詳しく論じている。この点は、財源とは、また別の論点となるので、しっかりと分けて考えておきたい。

財源の問題は存在しない

財源について大きな影響を及ぼすのは、やはり少子高齢化である。記事では財源の膨張を次のように説明している。

厚労省等が作成した「社会保障の将来見通し」(2018年)によると、高齢化のピークに近い2040年には、制度が現状のままなら年金給付費は57兆から73兆円(1.3倍)、医療給付費は40兆から70兆円(1.8倍)、介護給付費は10兆から25兆円(2.5倍)にそれぞれ増える。その他の社会保障費を含めると、おおよそ190兆円という途方も無い金額になる。

 

この膨大な社会保障費に対するイメージは往々にして下の図のようなものになる。

ただし、この図では、現役世代が高齢世代を支える一面しか表していない。意味合いとして、「お金で支える」という面でしか捉えていないのだ。お金の問題ならば、現役世代の国民だけが支えているというのは、そもそもおかしな前提だ。国民で支えきれない時こそ政府の支出が望まれるのだ。

これまで述べてきたとおり、日本政府は自国通貨発行権を持ち、円建ての国債しか発行していない。日本経済は長期デフレの状況に陥っている。であれば、政府がさらに国債を発行しても過剰なインフレにならない限り、何ら問題はない。ましてや政府が財政破綻するリスクは皆無に等しい(詳細は次の記事参照)。

つまり政府が借金をした上で、社会保障に対する財政支出を行えば少なくても財源の問題は解決する。

今回のコロナ禍によって、大幅な財政支出が現実に行われている。この危機的な状況下においては政府にはさらなる支出が求められるし、事実として政治家が意思決定さえすれば、まだまだお金は用立てられる。そういった施策によって政府の借金は増えるが、国民の資産は増える。最近の政策でいえば、特別定額給付金で感覚的に理解した人も多いのではないか?それで特に経済的に何かマイナスの影響が出るわけではない。その証拠に、今のところインフレの兆候は全く見えず、金利はびくともしていない。それほどまでに、日本経済は極端な需要不足に悩まされているのである。

改めて強調しておくが、政府の負債を家計の借金と同じようにとらえると、すべての認識が間違ってしまう。貨幣供給者である政府は、借金をすることで自国内の貨幣量を増やすことができる唯一の存在である。幸いなことに日本政府にはそれができる条件が揃っている。

政府には自国民の生活環境を守る義務がある。それができないならば、何のための政府かわからない。社会保障という国のインフラを滅茶苦茶にしてまで減らしたい政府の負債とは一体何なのだろうか?

介護業界が抱える問題

急増する介護の需要

社会保障が抱える問題とは財源の問題ではない。むしろ問題なのは需要に応えるべき供給側の整備が追いついていない、という点にある。

介護業界を例にとって考えてみよう。介護業界は、現在の日本においては珍しく需要が旺盛な業界である。高齢者が増えることによって、必然的に要介護者は増える。日常生活を継続するには、否が応でも介護の支援が必要になる。

少子高齢化、核家族化が進行した現在、介護を家族に頼るには限界がある。介護とは、当事者にとっては切羽詰まった問題である。要介護者の絶対数が増える上にそのニーズは切実なのだ。ほぼ確実に需要の増加が見込まれる、数少ない業界が介護業界なのである。

経済的な側面からみると、介護事業者が利用者の需要になんとか応えているお陰で、多少なりともデフレの悪化を防ぎ、日本のGDPの下支えに貢献しているともいえる。手堅い需要であれば、サービスを拡充して供給力を充実することで、さらなる需要を呼び込むことができる。

しかし、今までなされてきた政策は「聖域なき改革」の名の下に、度重なる介護報酬引き下げの断行である。介護報酬引き下げは、介護に携わるスタッフの人件費の低下をもたらし、さらなる労働環境の悪化をまねく。そうなれば業界から人材は離れ、供給力は抑えられたままなので、サービスを利用する側の需要は伸ばせない。

サービスの利用が抑制されれば、結局税収は増えず、税収が不足するから無駄削減・緊縮財政というばかばかしいスパイラルが継続していく。

成長産業としての介護業界

介護保険制度からの介護給付費は現在約10兆円(2018年)であるが、あくまでも保険制度の枠内の金額なので、介護をとりまく産業である福祉用具、配食サービス、衣料品などは含まれていない。これらの周辺産業を含めると2025年時点のマーケット規模は約100兆円になると言われている(みずほコーポレート資料参照)。

参考までに言っておくと、100兆円といえば、業界動向サーチにおける2019年の調査で第1位の規模をほこる卸売業界(約106兆円)とほぼ同じ規模である(業界動向サーチ参照)。

これほどのマーケットを、みすみす衰退させるような方策は、せっかくの好機をわざわざ潰すようなものである。産業としての介護業界の成長を促していくような財政支出は、国の経済発展という観点から見ても非常に理に適った方策といえるのだ。

もちろん、財源の制約が取り払われたとしても、現在の枠組みのままで無尽蔵に予算を投入すればいいわけではない。複雑な仕組みのまま、使い勝手が悪かったり、事業者の創意工夫が奪われるような制度が膨張することがあってはならない。

ここで先に述べた②制度の硬直化に関する主張が活きてくる。財源の問題とは別の課題として、自浄作用が働くような仕組みの構築を常に意識しておく必要があるだろう。財源が確保できたとしても、それをどのように使うかという論点に終わりはない。社会保障が存在する限り、状況に合わせた柔軟な思考がその時々で求められる。

介護のように国民の生活の基盤を支える産業については、純粋な民間の営利活動とは違った側面がある。利用者の要望にすべて言われるがままにサービスを提供すればいいというものではない。原則として自立支援の範疇を超えるサービスに関しては、保険適用が生じない。

利用者の生活の質の向上、という命題については、個別の状況を踏まえた高い見識、観察力、想像力が求められる。そうであれば、ある程度、安定した労働環境が担保されていなければ、専門性や創造性を充分に発揮できない。

もちろん、サービスを提供する側にはサービスの質をあげ、常に自己鍛錬の努力が求められる。しかし、あまりにも業界全体の給与の基準が低い現状のままで、生活するのがやっとというような待遇では活発な業界の発展は望めない。逆にサービス供給にたずさわる人たちの待遇が安定し、人員が増えれば、さらにその人たちの生活用品や娯楽の需要を呼び込むことができる。国の経済の下支えに大きく貢献できるのだ。

介護の業界には、まだまだ未発展な分野はたくさんある。例えば学問として、介護の体系化は依然として未熟である。他には認知症の人の行動パターン、身体に麻痺がある人の動作パターン等のビッグデータを集めてAIで分析し、ケアの現場に活かすことも考えられる。介護ロボットや福祉機器の開発もある。世界に先駆けた具体的な介護のノウハウの蓄積は、輸出産業としても期待できる。

こういった分野の事業が、充分な発展がとげられないのは、ことあるごとの削減マインドが根底にあるからである。少なくとも財源が確保できれば、どこに予算を投入してどのように使うか、創意工夫の裁量が生まれる。そして様々な方法論の検討が可能になり、実施する選択肢が増える。しかし財源がない、となれば、そこで一切の選択肢のつぼみが刈り取られてしまう。

大きな発展が見込まれる分野に、資金を投入するのは国として決して無駄な投資にはならないはずだが、現状の緊縮的な発想は、お金を使うべきタイミングを間違えているとしか思えないのだ。

政府の役割

自己責任論の危険性

巷には収入が足りないのは個人の努力が足りないからだと、ことさら自己責任の枠内に押し込めようとする論調が見受けられる。この考え方をあらゆる分野に当てはめようとするのは危険な発想である。公共性が高い仕事に関しては、政府の責任においてその質を担保できる環境を整えるべきだ。

すべてを自由競争、市場原理、自己責任論に委ねれば、さらに格差が広がる一方で、一部の人が強大な富を持つようになる。圧倒的な富を持つ人にとっては、政府が市場に介入する事態はなるべく避けたいという思惑が働く場合だってあるだろう。政府による富の再分配や様々な規制は、そういった人々にとっては何かと都合が悪いのだ。

何度も言うように、政府にしかできない役割がある。貨幣の本質を理解すれば、その役割の重要性が認識できるはずである。今回は社会保障、特に介護分野に絞って話しを進めたが、あらゆる分野で同じようなスキームで物事が進んでいる。各種文化事業、水害や地震対策等のインフラ整備、医療、教育、次世代テクノロジーに対する研究等々、公共性があるが純粋な市場原理に馴染まない分野はたくさんある。

何かにつけ、血税を無駄にするな!と、とにかく政府や公共事業の予算を省くことに思考回路が一辺倒になっている人が少なからずいるが、そこにうまくつけこまれる隙がある。無駄な予算に敏感になるのは、それはそれで意義があるだろう。ただし無駄を省くつもりが、自らの生活基盤を取り壊す可能性があることにも敏感になってほしい。

未来へのツケとは?

未来にツケを残すな、という言葉の意味合いは難しい。なんとなく正しいことを言っているようで実は漠然としすぎている。前回の記事では、未来ばかり気にして現在をおろそかにするのは、一方的な見方だと述べた。財源の問題にしても、仕組みの問題にしても現状と未来の利益のバランス感覚が重要である。そのためには、一元的な見方だけではなく複数の視点を自分自身にとり入れておかなければ、バランスのとりようがない。

世の中にはもっともらしいキャッチフレーズが満ち溢れている。特に国の財源にまつわる様々な言説には、背後に印象操作を連想させるものが多い。「国民一人たりの借金は○○万円」「子供たちの未来に借金を残さないようにしよう」「以前より少ない人数で、お年寄りを支えなくてはならない」等々。こういった一見、正論にみえるような言説を、何の疑いもなく信じていると、都合がいいように搾取され続け、結局は社会保障等のインフラが疲弊して崩壊し、本当の意味で未来にツケを残すことになる

以上、5回にわたって国の財源をテーマに、記事を書いてきた。ここ半年くらいで勉強したことを自分なりに整理してみたが、細部に至っては事実誤認があるかもしれないので、間違っていたら、その都度修正していきたい。

いや、やっぱり国にお金はないんだよ、緊縮財政が正しく政府支出は減らさなければならないんだよ、という主張があるならば、ぜひ間違いを指摘してほしい。残念ながら今のところ納得できるような言説には巡り合えていない。

このシリーズのまとめ
‣国の借金というのは、政府の負債のことである。
‣政府の負債が増えれば、国民の資産は増える。
‣政府は貨幣の供給者であり、膨大な負債を持っていたとしても、その分貨幣を供給すれば負債を帳消しにできる。
‣日本政府は、自国通貨(円建て)の国債しか発行していない。自国通貨を持ち変動為替相場制を採用している国であれば財政破綻することはあり得ない。
‣MMT(現代貨幣理論)に基づけば、過剰なインフレにならないかぎり財政支出の制約はない。
‣MMTを裏打ちする理論として、租税の役割や信用貨幣論がある。
‣MMTに基づく経済政策は、従来の経済学の常識と真っ向から対立するため、理解を得られにくい。
‣インフレ抑制に対する意見の相違は、人に対する信頼感の相違によるところが大きい。
‣日本の実質経済成長率は、ここ20年で大きく落ちこんでいる。OECD加盟国との比較において、実質経済成長率と実質政府総支出増加額の間には、強い相関関係を認めることができる。
‣緊縮財政を継続すると、国民生活を守る基盤(社会保障や災害防止のインフラ等々)が崩壊し、未来を含めた国民が大きな損失を被るおそれがある。
‣政府が財政支出を実施すれば、社会保障制度における財源の問題は解決する。ただし適切な制度設計を行うことは、課題として残る。
‣介護の需要に対して、充分なサービス供給の整備がなされていない。この分野に大幅な財政出動を行うことで、GDPを押し上げる効果が期待できる。結果として政府の負債の削減にも寄与できる。
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