社会保障制度の現状と未来(2)

データから社会保障制度をみる

社会保障制度と少子高齢化

社会保障制度をめぐる状況で、真っ先に思い浮かぶのは少子高齢化である。高齢者が爆発的に増えているのに、子供の数は減っている。今後支える側が圧倒的に少なくなるのに、制度として成り立つのかという懸念である。

少子高齢化の影響を最も顕著に受けるのは、年金制度であろう。年金の性質上、受益者はどうしても高齢者になるので、高齢者が増えれば国民の負担は必然的に多くなる。子供の数が減っていけば一人ひとりの負担は増加する。当然この懸念は誰もが持っているに違いないが、今のところ抜本的な解決策は示されていない。

社会保険料率の推移

日本の社会保障制度は、社会保険形式が中心である。とはいえ税金からも資金が投入されており、年金、医療、介護それぞれの制度によって税負担の割合が違う。その辺りの複雑な仕組みが、さらに理解を妨げるのだが、とりあえず社会保険の料率に注目してみたい。

下の表は、2003年からの社会保険料率の推移を示したグラフである(これがまたややこしいのだが、料率は個人が勤めている事業主が加入する保険や地域によって違ってくる。表は全国の平均をわかりやすくまとめたものである。出典サイト)。2003年から2017年までの増加率をみると大体7.5%位だろうか。事業主が折半するから個人としては実質3〜4%の負担増になっている。

この3〜4%というのが曲者である。14年かけてその程度だと毎年の負担増額はそれほどではないと感じやすい。知らず知らずのうちに負担が増えているというのが大多数の実感ではないだろうか。ただし全体的な数値を見ていくと、塵も積もれば山となるでそれなりに増えているのだ。下表を基に各保険料の2009年から2017年までの変動率で示してみると、厚生年金保険料は約35%、医療保険は約22%、介護保険は約38%それぞれ増加している。その増加分を社会全体でカバーしていることには違いない。すなわちジワジワとからみつかれるように社会保障制度の自己増殖の仕組みのレールの上に我々は乗っかっているのだ。思うように手取り収入が増えない一因もこのような背景によるところが大きい。

社会保障の見通し

問題は今後の負担がどうなるかである。残念ながらあまり明るい見通しはない。厚労省等が作成した「社会保障の将来見通し」(2018年)によると、高齢化のピークに近い2040年には、制度が現状のままなら年金給付費は57兆から73兆円(1.3倍)、医療給付費は40兆から70兆円(1.8倍)、介護給付費は10兆から25兆円(2.5倍)にそれぞれ増える。その他の社会保障費を含めると、おおよそ190兆円という途方も無い金額になる。

今までの経緯をみると、今後も確実に負担が増えていくとしか思えないのである。なぜなら制度が巨大化複雑化する過程で、何も抜本的な対策をとってこなかったからである。今後も同じことを続けるなら、ひたすら対処療法を繰り返すことになる。年金の財政が悪化したら保険料を引き上げたり、支給年齢を繰り上げる。医療・介護保険が膨張すれば給付を制限する。それでも足りないなら消費税をあげる。そうやってあの手この手で巧妙に制度の維持を図るのだ。

高齢化がピークに達しても、制度自体が破綻することはないだろう。ただし国民の重い負担の犠牲の上にである。20年後は介護保険自己負担割合5割、年金支給開始年齢80歳、消費税20%なんてことに、もしかしたらなっているかもしれない。そうなれば高負担に喘ぎながら、細々と人々が暮らす活力がない社会が広がっているだろう。社会保障は、生活のリスクを軽減し、安心して暮らすための制度である。生活の重荷になるならば本末転倒である。

社会保障自体で完結すればまだいい。過剰な税・社会保険負担は、優秀な人材や企業の海外への流出を招く。生産活動が下がると当然、税収も下がる。税収が下がれば国民にさらに負担を求めることになる。とてつもない負のスパイラルの入り口に我々は立っているかもしれないのだ。

政治をめぐる背景

官僚が果たしてきた役割

ここで政治の話しに戻る。今回、官僚について辛辣な意見を書いたが、制度の自己増殖化についての責任が全て官僚にあるとは思っていない。むしろ官僚は、国民の生活を守るという意識で制度を運営してきた面も多々あったはずである。現実問題として、生活の保障を必要としている人は増えているのである。その人たちを制度によって支援しなければならない。とはいえ法令の枠内で動くことが官僚の宿命である。法令を複雑化して制度の枠を広げようとするのは、ある意味官僚にとって自然な活動ともいえる。なので大胆な制度の自己改革は職務の性質上難しい。であるとすれば政治の力に頼るしかないのだろうか?

政治家が果たしてきた役割

本来なら政治が主導して、現状にそった制度に見直していくべきである。しかし前回述べたように権力闘争に力を注ぐことに主眼を置いており、残念ながら立法府としての機能を充分に果たしてこなかったと言える。人口推計がその正確な予想が可能かどうか議論の余地はあるが、少なくとも40年位前には高齢社会が到来することは充分に予測出来ていた。

過去数十年、有効な対策を打てなかったのは政治の怠慢と言われても仕方がない。しかし政治家を批判して溜飲を下げているだけでは何の解決にもならない。政治家を擁護するわけではないが、国民の意向を実現させようと動いた結果が、今の仕組みに結び付いたとも言える。制度の改革という、反対勢力の抵抗が予想される面倒な案件に手を付けるよりも、地元や関連業界に利益を誘導する政治が重宝されてきた経緯がある。そのためには、細かい制度設計は官僚に任せ、少しでも自分や自分の支持者の意向が通る立場に就かなくてはならない。長年、大臣の椅子も、その政争の具にされてきた。

国民からみた社会保障制度

社会保障制度は、人々の生活にすぐ役立つという仕組みではない。実際に大きな病気になったり身内に介護が必要な人が出てこないと、普段はそれほど関わることはない。特に身体が健康な若い時はそうである。あまり関心がない事柄に人々は動かない。そうなると人口が多く、投票率の高い高齢者の意向が反映されやすくなる。曲がりなりにも、ある程度給付がなされている今の制度をこれ以上制限されたくない。その意向を踏まえた政治家たちは、積極的に抜本的な対策に手を付けられない。ある意味、忠実に民意を反映させているのだ。

給付を制限することに批判的なマスコミの論調も多い。介護保険の自己負担の増加に対して否定的な記事はしばしば目にするが、あくまで制度の枠内での議論になっている。結局はそれは現状維持とたいして言っているのと変わらない。国民の側からすれば給付が受けにくくなるのは嫌に決まっている。しかし何度も言うように政治家を悪者に仕立て上げたところで何も変わらない。現状の給付を維持したとしても抜本的な解決策がなければ、未来の国民にツケを先送りするだけである。

思いのほか記事が長くなってしまった。それも悲観的なことばかりを延々と。でも問題の背景は単純ではないのでご容赦頂きたい。ただお先真っ暗な話しだけでは気分が滅入るばかりだ。なのでどうしても望みは繋いでおきたい。次回、解決の道筋をつけるとしたらどういうことが考えられるか述べてみたい。

 

(以下の記事で、財源をテーマにした見解を追加しました。よろしければ合わせて、ご一読ください。)

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