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蒼天航路について
根強い人気作品
以前、このブログで蒼天航路について取り上げたことがある。蒼天航路の連載が終了してから、それなりの年数が経つが(2005年に終了)、今だに根強い人気を誇っているのがわかる。
というのも検索流入でこの記事を読んでくれる人がとても多いのだ。多いというかむしろPV(ページビュー)累計数では、かなり上位に位置する。
介護に関する記事より、蒼天航路のほうが圧倒的に興味を持たれている。このブログのキャッチコピーは、「介護の視点から社会の仕組みを考える」だが、人や社会に対する洞察が出来れば、別にとっかかりにこだわってはいないのである。
作品を取り上げる理由
僕が漫画、映画や音楽等のコンテンツに関する記事を、比較的多くアップするのは、その作品が単純に面白いというのも勿論あるが、僕が表現したいことを、作品を通じて述べることで、より分かりやすく伝えられるというメリットがあるからだ。
優れた作品というのは、人物描写や社会設定がとても良く練られているし、だからこそ時が経っても多くの人の共感を得るのである。蒼天航路には、そういったバックボーンを活かした魅力的なエピソードがたくさん詰まっている。
というわけで、今回も蒼天航路の印象的なエピソードを紹介したい。なぜなら作品を通じて人や人間社会の真髄に迫ってみたいからである。決してPVを稼ぎたいからではない。ないったらないのである。
隠れた人物に焦点をあてる
ミュージカルのような三国志
前回、テーマにあげたエピソードは赤壁の戦いだった。三国志の中でも最も有名な合戦である。赤壁の戦いを背景にしつつ着目したのは、曹操と孔明、二人の人物であった。
二人とも三国志において主役級の知名度をほこるので、読者の中にそのキャラクターに対するイメージが定着している場合が多い。だこらこそ、イメージと違う側面を表現することで、強烈な印象を残すことができる。
蒼天航路では、登場人物のキャラクター設定を、絶妙なバランスで変化させることで、一般的に知られる赤壁の戦いを独自の世界観に染め上げることに成功した。
かと言って、有名ではない出来事ないし登場人物が印象に残らないかと言ったらそうではない。むしろとても魅力的に描かれていると思うのだ。
作者、王欣太氏によると、当時の編集長に「ミュージカルのような三国志を描いてみないか?」と言われたことが蒼天航路を執筆するきっかけとなったそうだ。そして「その人物に与えるコマにおいては全員主役」という考えに基づいて作成している、とのことである(Wikipedia参照)。
つまり有名であろうとなかろうと、一人ひとりのキャラクターを緻密に作り上げ、印象的な台詞回しや演出をほどこすことによって、圧倒的な存在感を示すことができたのである。
合戦以外の魅力的なエピソード
三国志は、後漢から三国時代の混乱期をベースとしているので、どうしても合戦中心のエピソードが多いが、蒼天航路においては、合戦に関連しない数多くの人物にもスポットが当てられている。何も戦だけが三国志の魅力ではない。
例えば、神医と呼ばれた華佗(かだ)や、涼州の隠者である石徳林(せきとくりん)といった人物に着目したエピソードがある。人材コレクターであった曹操と絡めることで、これらのエピソードが非常に魅力的なストーリーとなっている。
今回、紹介したいのは「文学の誕生」というテーマである。合戦のように華々しくなく、いかにも地味なテーマではあるが、隠れた名キャラクターにスポットを当てつつ、ミュージカルを観ているような高揚感を得られるエピソードに仕上がっている。
かき集められた人材
時は建安5年(200年)、曹操は官渡の戦いにおいて当時最大の勢力を誇っていた袁紹を打ち破り、河北一帯を手中にした。この戦いの勝利により、曹操は中華中原の覇者として躍り出るようになる。
もともと人材に強いこだわりを持っていた曹操は、袁紹の領土であった北方4州から、有能な人材をかき集める。
そして官渡の戦いから数年後、召し集められた人材の中から特に学術や技芸に優れた者が許都に送り込まれた。許都には曹操に奉戴された献帝がおり、御前で文人たちの技芸を披露する宴が催されることになった。その宴の場面が、文学誕生の舞台となる。
宴の舞台
ここで今回の舞台に登場する三人の人物を紹介したい。
陳琳
宴には、多くの元袁紹配下の文化人が招待されたが、その中の一人に陳琳(ちんりん)という人物がいた。実はこの陳琳、官渡の大戦で袁紹陣営において、曹操打倒を呼びかける檄文(プロパガンダ文書)を書いた実績があった。

陳琳
その檄文の内容は苛烈を極め、曹操とその一族を徹底的に罵倒しつくしたもので中原全土に配された。実際、檄文を読んだ曹操は眉間にしわをよせながら怒りの感情を表出させるが、こうも言わしめるのだ。
「この美しき配列・韻律・音調 苛烈な行間に潜む詞藻(しそう)・洒脱・品格。言葉というものは学べるようでいて、ない者には永遠に身につかぬのだ」
「この才人の筆で宣戦布告が受けとめられたことは実に喜ばしい」
何よりも、とにかく人の才能を求めていた曹操らしいセリフである。
孔融
二人目の人物は、孔融(こうゆう)である。儒学者であり孔子の20世の孫に当たる。古くから朝廷に仕え、類まれなる文才があり、文人サロンの中心的存在である。

孔融
孔融は、いかにも儒者という風貌を備え、いささか尊大な態度をとるようなところがある。なんといっても儒教は、当時の中国の国教といってもいい思想である。儒教は当時の人々の生活のすみずみまで浸透し、400年以上にわたり社会の行動様式を完全に支配していた。
儒教の創始者である孔子の子孫ともなれば、その影響力は絶大であったろう。孔融は儒教の教えは絶対とする保守的な思想の持主でもあった。しかしその文才は確かなもので、宴では格式のある詩歌を披露し、献帝もその美しい詩の響きに感涙するほどであった。
曹植
三人目の登場人物は、曹植(そうしょく)である。曹操の実子であり三男に当たる。純朴な性格で天性の詩才を持ち、曹操にその才を認められ許都の宴に参列していた。この時、年齢は15歳。感性豊かな少年として描かれている。兄に曹操の長子、曹丕(そうひ)を持つ。
実は曹植には大きな秘密があった。兄、曹丕の妻である甄氏(しんし)に想いを寄せ、ある夜、駆け落ちを持ちかけたのだ。この試みは、明るみにでる前に母である卞夫人(べんふじん)に止められ、叶うことはなかった。

曹植
甄氏は、四海に聞こえる美女とうたわれ、もともとは袁紹の子、袁煕(えんき)の妻であったが、袁家の本拠地が攻略された際に、曹丕に奪い取られたという過去を持つ。
曹植は、そんな過酷な運命を静かに受け入れている甄氏に、人の儚さを見いだす。頑なに心を閉ざし運命に翻弄されるがままの甄氏に対して、曹植は胸が張り裂けるほどの切なさや哀しみを感じる。
であれば、甄氏が心を解き放ち、自分の意志で生きるよう力を注ぎたい。曹植には溢れんばかりの言葉が身体の中に渦巻いていた。詩の可能性を信じ、言葉の力で甄氏に心の安寧をもたらそうとしたのである。
しかし卞夫人の立場からすれば、到底許されない行為であり、必死に息子にその思い留めさせようとする。そんな母の気持ちを受けて、曹植も強烈な想いを胸の内に抑え込むしかなかった。
ただその純粋すぎる恋心は簡単に収まるはずがなく、ほとばしる感情を抱えたまま、許都での宴に参加することになったのである。
脇役から主役へ
ここに挙げた三人の人物は、劉備、孔明、関羽といった三国志の主要登場人物ほどの知名度はない。あまりスポットが当てられることがない脇役としての扱いが多かったかもしれない。
しかし、蒼天航路においては文学の誕生という大きな舞台を与えられ、それぞれの人物が、ミュージカルの舞台俳優よろしく主役級の活躍をみせるのである(後編に続く)。