蒼天航路を語る(文学の誕生・後編)

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宴の舞台・開幕

三人の文才

陳林(陳林)、孔融(こうゆう)、曹植(そうしょく)。

この三人に共通しているのは、文才があるという点である。だが置かれている立場であったり、言葉に対する考え方などは全くと言っていいほど違っていた。

現代の文芸の世界でいうと、陳林は異端の作家、孔融は文壇の重鎮、曹植は無名の学生、といったところであろうか。

そんな三人を含む文人たちの技芸披露の宴は、粛々と進行していた。

皇帝の憂鬱

楽隊の演奏や芸妓の舞踊を聴きながら、皇帝劉協はどこか退屈げな表情をしていた。名門であった袁紹のお抱え楽団であるから、演奏の技術は確かである。

しかし、それ以上のものではなく、綺麗にまとまりすぎていて劉協の心には全く響いていなかった。

それよりも劉協は、曹操と話しがしたい。日頃からそう思っていた。曹操は多忙なため、今回の宴には出席していなかった。今までの謁見の場で、曹操は臆せず劉協に対して自分の意見を述べていた。

皇帝の意見におもねるだけの側近たちとは違い、曹操は劉協にとって師のような存在だった。既成概念にとらわれず、新しい考えや思想を受け入れる柔軟性が、この若い皇帝にはあった。

なかなか曹操と会う機会がないことも、劉協が浮かない顔をしている一因でもあった。

洛神の賦

そんな時、唐突にひとりの少年、曹植が詩を吟じはじめる。抑えこんでいた感情が我慢しきれず、言葉が自然とでていたという印象である。

その形、翩(へん)たること驚鴻(きょうこう)のごとく、婉(えん)たること遊寵(ゆうりゅう)のごとし…

次々と繰り出される言葉の嵐に、その場にいる誰もが呆気にとられる。と同時に不思議な言葉の魔力に、皆が聴き入ってしまう。

「是に於て、忽ち体を縱にして、以て遨し以て嬉しむ。左は采旄に倚り、右は桂旗に蔭る。皓腕を神滸に攘し、湍瀬の玄芝を采る…」

曹植は、豊かな語彙を駆使しつつ、みずみずしい表現で一人の女性を形づくっていた。劉協をはじめ、聴衆の多くは曹植が発する言葉の後ろに、妖艶な女神が立ちのぼっていくのを見る。

曹植は、感極まって涙をながしながら自身の感情を詩にのせる。

「余はその淑美を悦ぶも、心は振蕩して怡ず。良媒の以て接飲するなし、微波に託して辞を通ぜん。誠素の先ず達せんことを願い、玉佩を解き以て之を要す…」

(僕の心は 、その滑らかな美しさに惹かれつつ、胸は不安に高鳴って落ち着かない。ここには僕の想いを伝える適当な仲人がいないから、せめて小波(さざなみ)に託して この気持ちを届けよう。何よりの真心が彼女に伝わるように。この身におびた玉を解いて、心の証としよう)

紛れもなく鄒氏(すうし)に対する純粋な気持ちを詠った詩である。

曹操の登場

ここで孔融が、一喝する。

「ここは道化を演じる場でもなければ、君の幼い俗情を聴いてやる場でもない」

「(言葉の世界とは)時代の精神を表すもの。一個の人間の卑小な想いを伝える術ではない!」

陳琳がこの発言に噛みつく。

「この子の生気みなぎる言葉は、まぎれもなくただ今この場で生み出されたもの。そして新しい言葉の世界を手招くものだ!」

孔融と陳琳と間で、曹植の詩をめぐって激しい言葉の応酬が繰り広げられる。

そして議論が白熱したその最中、突然曹操が宴の場に登場する。

「おまえたちが交わす言葉も、なかなかいい詩じゃないか」

手には小鼓をもっていた。小鼓を叩きながら、文人たちにけしかける。

「我の中に全人間が在る。そう感じる時なかなか素敵な言葉が舞い降りてくるんだよな」

曹操の登場をきっかけに、楽隊は打って変わったように生き生きとした音色を奏で始めた。

三つ巴の論戦

宴の場が熱していく中、曹植、孔融、陳琳は徐々にヒートアップし、思い切り全身を動かしながら、自分の心情を披露する。

曹植「言葉は自由で強靭だ!矛にも勝れば盾にも勝ろう!」

「詩歌で乱世を終わらせることも可能だ!人の心から乱世を終わらせるんだ!」

孔融「天下の心は荒廃しておるが、ゆえにゆるぎない支柱が必要なのだ。それは漢朝400年を支えてきた儒家の思想しかあるまい」

陳琳「認めてしまえ、孔融!先駆の創造が世に現れたのだ!」

「その輝かしい偉才を認めてしまえば、朽ちつつあるわれらの言葉も生気を取り戻そう」

三人の議論を裏で盛り上げていた曹操。大きな太鼓を静かに連打しつつ、険しい表情で自分の心情を吐露しはじめる。

曹操「文の世界だけでは足りぬ。楽隊は礼楽ばかりを奏でさせられ、画工は孔子の肖像ばかりを描かされてきた」

「いったいどれほどの人の才が、儒という権威に隷属させられ冷遇されてきたことか」

文学の誕生

ここで一気にボルテージをあげる曹操。おもいきり太鼓を叩きながら叫びだす。

「様々な才を持つあらゆる者よ!」

「全人間に向かうがごとく壮大にその技芸を発するがよい!」

「今(中略)ありとあらゆる才は、儒から独立し新たに誕生する!」

「人の心に巣くった乱世を払拭し、人が忘れた歓喜を呼びおこし、人間の心の中から天下を革(あらた)めてしまえい!」

それまで、一連のやり取りを息をのむように聞いていた劉協が、檀上から降りてきて、ゆらりと踊り始める。その様子を見た文人たちは思わず歓声をあげ、皆で自由自在に舞う。ただ一人呆然とする孔融。

時の最高権力者(曹操)が、儒教の縛りを解き放ち、最高権威者(劉協)がその宣言を受けて、心のおもむくまま踊ったのである。文人たちが、その才を思いきり発揮できる世界が目の前で生みだされた。この時をもって、文学が誕生したのだ。

建安文学

この時代に生まれた中国の文学は「建安文学」と呼ばれる。儒家的・礼楽的な型に囚われない、個人の感情を詩った自由闊達な文調を特徴としている。

建安文学で中心的な役割を果たしたのが、孔融・陳琳など建安七士と呼ばれた文人たちと曹操・曹丕・曹植の三曹の親子である。

特に曹植は、中国を代表する文学者として、唐代の李白・杜甫が現れるまで詩聖として歴史に名を残した。

蒼天航路の魅力

今回、蒼天航路における文学誕生のエピソードを自分なりに紹介してみたが、原作の魅力の100分の1も伝えきれてないかもしれない。

文学という難しい題材を扱いつつも、言葉(セリフや詩)を最大限に活用し、まさにミュージカル仕立てのエピソードとなっている。

それぞれの登場人物が、躍動感あふれる魅力あるキャラクターとして表現されているのは、もちろん絵柄によるところも大きいが、セリフ言葉の選び方、センス、リズム感が素晴らしいからである。

作中で明示されているように、文学は強烈な人の感情が源となっている。その衷心の叫びが、あたかもミュージカルの歌のように読者の目の前に迫るのである。

聖典と文学

現在においては当たり前のように、文学は人々の人生に潤いをもたらしている。詩や小説は、心の奥底に潜む強烈な想いを言葉で表現したい、そう思う創作者たちによって生み出されてきた。

歴史を紐といてみると、文学が生まれるずっと前から人は言葉を活用してきた。何よりも言葉の普及にいち早く貢献したのは、数々の聖典である。

キリスト教の聖書、仏教の仏典、儒教の経書等々。共通の理念を広めるために、これらの聖典は大きな役割を果たした。聖典に記された膨大な言葉は、まず何よりも社会に大きな支柱をもたらすための手段として使われてきた。

しかし、大きな支柱に抱えきれない個人の感情は必ず生じる。はじめは小さな言葉の灯だったかもしれない。でもその灯は多くの人の共感を生み、文学の体系を形作ってきた。

聖典と文学。どちらも言葉で形作られた豊潤な文化であり、精神の栄養となる。

ただ言葉に聖典的なものと文学的なものがあるとすれば、僕はその使い方に自覚的でありたいと思うのだ。現代の聖典的なものといえば、制度、法律、道徳、規範、常識などが挙げられるだろうか。

ともすれば聖典的な言葉に偏りがちな日常であるが、時には自分の心情を文学的に発露したいと思う。そのための人生でもあるのだ。

そんな思いにふけりながら、蒼天航路を味わってみてはどうだろう。

 

王 欣太(著) 李 學仁(著) / 講談社 (1999/12)
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