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認知症の理解を深めるには
ここのところ認知症をテーマにした記事を書いてきた。
前出の記事は、認知症ケアに関する視点や心構えについて書いたが、認知症そのものについて、詳しく述べているわけではない。
認知症について知るには、その現場に実際に関わらなくても理解することは可能である。もちろん、直接交流の機会をもてば、肌感覚で理解できることは沢山ある。
ただ、そういう機会がない場合、いきなりボランティアで介護に参加してみるなんてことは、なかなかハードルが高いだろう(興味がある方は、スケッターを活用してみてもいいと思う)。
では直接の関わり以外に、認知症を理解するにはどうしたらいいだろうか?認知症に関する文献を読めばいいか?
それも一つの方法であるが、入り口としてとっつきやすいのは、認知症をテーマにした優れた作品にふれて、理解のきっかけを持つことだと思う。
そうはいっても意外にも、認知症をテーマにした作品というのは意識しないと目に入ってこない。認知症を扱っていたとしても、ステレオタイプな表現に終始していたりして、かえって誤解をまねくような作品もある。
そこで今回は、認知症とそのケアの現状を分かりやすく把握できて、さらに現状に対して考えされられるような作品を3つ紹介したい。漫画、映画、小説、それぞれのジャンルから1つずつ選んでみた。
ヘルプマン!
まずは「ヘルプマン!」である。2003年から2014年にかけて、『イブニング』にて連載された高齢者介護を題材にした漫画である(現在は、『週刊朝日』に移籍し、それに伴いタイトルを「ヘルプマン!!」に変更して連載中)。
主人公の恩田百太郎(おんだ ももたろう)は、特別養護老人ホームに勤める介護士である。この主人公の特徴は、とにかく介護に対して熱意を持っている点である。それは使命感にかられて行う介護というよりは、じいさんばあさん達に楽しく過ごしてもらいたい、というシンプルな気持ちが原点にある。
ただその熱意が尋常ではない熱量なのである。どのくらい暑苦しいかといえば、およそ松岡修造10人分くらいである。松岡修造は頭が良さそうだが、百太郎は勉強も苦手で福祉に関する知識も薄く、感情が先走るところがある。こんな奴が実際にいたら、かなりうっとしいはずだ。
ヘルプマンでは、エピソードごとに一人から数人の介護が必要な高齢者たちに焦点をあてる。介護は決してきれいごとではすまされない現実だ、ということをエピソードを通じて提示している。
終わりがない介護に、気持ちの余裕がなくなる家族。時間や人手が足りなく、充分なケアが出来ない介護スタッフ。責任の範囲外ということで、事務的な対応をする行政の職員等々。
大抵の人は、少しずつ弱くてズルくて楽なほうにながれてしまう心を持っているものだ。何とか均衡を保っていた日常が、介護という行為が持ち込まれることで、徐々に崩れていく。特に「手間がかかる」とされた認知症高齢者は、知らず知らずのうちの社会の厄介ものとして扱われるようになる。
その辺りの心情描写が、「ヘルプマン!」はとても上手に描かれている。周囲の人たちが悪気を持っているわけではないが、少しずつ歯車がずれて、高齢者たちと介護に携わる家族や関係者たちがお互い苦しい思いを持つことになる。
百太郎のストレートすぎる言動は現場に混乱をもたらすことも多いが、行き詰まった状況では、彼の発する言葉が、ふと原点に立ち返る気付きを与えるのである。
介護が、単なる世話や作業になってしまいそうなところに、彼の言葉は、「人」を見つめるという視点をもたらす。単純な訴えだからこそ逆に心に響きやすい。むしろ百太郎の暑苦しさが、物語が読者に訴える力に寄与しているといえる。
それぞれのエピソードが、完全な解決を示して終わるわけではない。介護という現実はそのまま残る。ただ、家族や関係者といった登場人物たちが、違う視点に気付くことによって介護に向き合う姿勢が変わる。作者は、そこに希望を見いだしているように見える。
ヘルプマン!は単行本ごとによって、「虐待」「福祉学生」「介護起業」など介護にかかわる様々なテーマを扱っている。認知症について詳しく知りたければ、認知症編(第11〜12巻)、成年後見制度編(第18〜20巻)、認知症予防編(第25巻)あたりがおすすめである。
興味があるテーマがあれば、是非読んで頂きたい。
ぼけますから、よろしくお願いします
続いて、「ぼけますから、よろしくお願いします。」という映画を紹介したい。
本作は、監督の信友直子さんが、郷里の広島県呉市に暮らす認知症の母(87歳)と介護する95歳の父を娘が撮ったドキュメンタリー映画である。
公式ホームページをみると、上映会のスケジュールが確認できる(2020年3月30日の時点では予定なし。その他Amazonのプライム会員もしくは動画配信のレンタルで視聴可能)。
信友さんは、もともとフジテレビ「NONFIX」や「ザ・ノンフィクション」で数多くのドキュメンタリー番組を手掛けている。この映画でも自身の両親の記録とはいえ、製作者として客観的にその姿を映しとることに徹している。ドキュメンタリー制作に携わった手腕が、見事に活かされている作品となっている。
45歳の時に信友さんは乳がんを発症、その際、母親が上京し、彼女から看病を受けた。映画では他者に気遣いながら、娘を愛情深く支える凛とした姿が映し出されていた。
その頃から信友さんは、思い出作りのために“家族の記録”を撮り始めるが、2013年頃から、撮ったテープの中に少しずつ母のほころびが見え出してくる。2014年、母はアルツハイマー型認知症と診断され、90歳を超え耳の遠い父が母の介護をするようになる。その数年間の映像記録が、この映画の内容となっている。
ここまで老々介護の実態が、映像として世に出てくるということはあまりないのでないか。何も脚色されていない、カメラを通したありのままの夫婦の日常生活が映し出される。そこがこの映画の真髄である。
感情が不安定になったり、急に廊下で寝込んでしまうのは、明らかに認知症の影響だし、介護サービスの利用を始めるのも、サービスに対して本人の拒否があるのも、サービス利用をめぐって夫婦で喧嘩をするのも、要介護高齢者がいる家庭では日常の風景である。
僕のようなケアマネジャーをしている者にとってはありふれた光景だが、やはり自分の家庭で介護される人がいなければ、なかなか実感できない風景だと思う。
父親はとても頑張っている。難聴と曲がった腰を抱え、身体に鞭打ちながら不慣れな家事をこなし、妻の介護を行っている。高齢夫婦二人のこの生活は、綱渡りである。でもきっと本人たちが望んだ生活だろうと想像するのである。
確かに大変でつらい日常であるかもしれない。でもそれだけではない。こんなシーンがあった。
ある時、母は自分が何もわからなくなってしまった、と不安になって泣いて布団にくるまってしまうが、少ししてからそっと布団の中から夫の方に手をさしのべる。その手をしっかり握り返す夫。確かにそこに深い信頼関係を感じるのである。
「ぼけますから、よろしくお願いします」。母の娘に対する笑顔の新年のあいさつが、このセリフだったとのことだ。信友さんは、そこに母親の人柄と娘に対する信頼を感じたのだろう。認知症と共存していこうとする、いいタイトルだと思うのである。
ロストケア
最後に「ロストケア」という小説を紹介したい。ジャンルとしては、社会派推理小説とでもいおうか。とある地域で発生する認知症高齢者の連続殺人事件を、一人の検事が解明していくというのがストーリーの骨子である。
正直なところ、今回この作品を紹介するかどうか迷った部分がある。というのも、この小説で述べられている認知症高齢者の置かれている状況が、あまりにも救いようがないからである。
ストーリーの冒頭で、在宅での認知症介護で家族が憔悴しきっている様子が描かれる。体力も気力も奪われる終わりがみえない介護は、家族に残酷な現実をもたらす。認知症は悲惨な状況を引き起こす原因、これが物語の前提となっている。
犯人は、綿密に計画を立てた上で認知症高齢者に対して殺人を実行する。実際には、殺人と分からないように巧妙に自然死を装い、世間にばれないまま次々と殺人に手を染める。その数42人。希代にみる大量殺人犯である。
物語は同時に、フォレストという介護サービスを全国展開している企業に焦点をあてる。というのも大量殺人の被害者が、フォレストが運営する、ある地域の訪問入浴事業所がカバーするエリアに集中しているのである。必然的に、この事業所のスタッフの誰かが犯人である疑いをもって、読者は読み進めることになる。
ロスト・ケアでは、介護業界の構造的な問題を、余すところなく浮かびあがせている。介護保険制度がもつ矛盾によって事業者には、ほとんど利益がでない仕組みになっている。その影響で働くスタッフにも長時間労働や精神的ストレスのしわ寄せが襲ってくる。
フォレストは会社として利益をあげようとして、介護報酬の不正受給に手を染め、結果的に国から介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受けることになる。すなわち会社として廃業を命じられた、ということである。あきらかに2007年のコムスン介護報酬不正請求事件 をモデルとしている。
このように小説では現実にあった事件をもとに、介護保険制度がもつ問題点を浮き彫りにしつつ、遠巻きに殺人事件の背景として語られるのである。つまり認知症介護をめぐる状況は、社会的な要因が重なり合って導き出された結果という理屈を提示している。
詳細はここでは省くが、「ロスト・ケア」で述べられている介護保険制度の構造的な問題については、現場でたずさわっている立場からみても概ね同意できるし、その問題点の多くは今でも存在していると思う。そういう意味では、認知症をめぐる問題は、社会的な背景をぬきにして語れないのである。
しかし、この小説で語られる介護保険制度、サービス事業所の運営、介護スタッフの労働状況、介護者家族の環境、認知症の症状等は、介護にたずさわる家族や関係者たちにネガティブな影響しか及ぼしていない。負の面を強調したことで、凶悪犯罪が成り立つ理屈を、物語上成り立たせてしまっている。
負の連鎖のみが現実かといえば、それは一方的な見方だと思うのである。42人の連続殺人犯を生む土壌と言い切るには、かなり無理な飛躍がある。そんなにも救われない現状なのかと解釈されてしまうのは、個人的には悲しい。実際の現場では、負の連鎖を断ち切る取り組みや努力もたくさん成されている、ということを強調しておきたい。
作者は認知症介護の絶望感を読者に伝えたいのではなく、今ある社会問題として警鐘を鳴らしているととらえれば、この小説の価値は、認知症介護を取り巻く現状について考えるきっかけとなる、という点で大いにあると思う。
推理小説として、伏線を回収しながら犯人の行動を暴いていく過程はスリリングだし、終盤に明かされる真犯人は、少なくても自分にとっては意外な人物であった。エンターテインメントとしても、読んで損はない作品である。