誰のための認知症ケアか(前編)

認知症に対する理解

今回テーマにあげるのは、認知症ケアについてである。

認知症そのものについてというよりは、認知症のケアはどのようになされるものなのか、何のために、どのように、そして誰のために実践されているのか、という点について述べていきたい。

認知症ケアにおいて、最も重要なことは認知症について理解するということである。ここでいう認知症の理解とはとりもなおさず、その人を理解するということにつながる。

認知症についての基本的な知識は、様々な書籍やネット上で得ることが出来る(認知症の概略を説明しているサイトのリンクをいくつか貼っておく)。

認知症ネット

認知証/疾患の詳細(厚生労働省)

認知症施策 (厚生労働省)

もちろん上記のサイトで得られるような一般的な知識を知っておくことは重要であるが、今回、僕が言う「認知症の理解」の意味するところは、実践的なケアをする上で、その対象となる人をどのように理解すればいいのか、という点である。

認知症高齢者数

その前に、一つの統計情報を共有しておきたい。次の表は内閣府の提示している認知症高齢者数の推計である。

平成24(2012)年の実数値でいうと、65歳以上の高齢者の約7人に1人(15%)が認知症高齢者(462万人)だった。さらに将来に目を向けると、令和2(2020)年には約6人に1人、令和7(2025)年には約5人に1人になると推計されている。

なぜ未来になればなるほど、認知症の割合が高くなるかと言えば、平均年齢が伸びるからである。なんといっても認知症発生の最大の因子は「加齢」である。

85歳以上の高齢者になると4人に1人は認知症になるという統計がある。85歳以上の人の割合が増えれば、必然的に全体の中での割合も増える。推計では、2050年には800~1,000万人という膨大な人数となる。

30年後の日本は人口9500万人位とされているから、なんと若年層を含む総人口の約10人に1人は認知症という計算になる。国民全体にとってますます身近な事柄になるのは間違いない。

認知症に対するイメージ

もはや誰にとっても他人事ではない現象になりつつあるが、世間一般に認知症に対する理解が進んでいるとは言い難い。特に認知症ケアについては、どのようなケアをしたらいいか、わからないと答える人が多いのではないだろうか。

その背景には、認知症に対するネガティブなイメージがあるように思える。いきなり、わけのわからないことを言い出す、意味もなく感情的に怒り出す、まともな判断が出来ない、これらが認知症に対する一般的なイメージであり、だからこそ扱いきれない、どうケアしていいかわからない、となる。

認知症は忌避すべき対象であり、なるべく思考の対象から外したい。ネガティブなイメージが頭の中に蔓延していれば、そう思うのも無理はない。

確かに、前述したような症状が、認知症が進行するにつれ多くみられる。ただし、そのケアがただひたすら理不尽な思いをしながら行うものかといえば、それは違う。対処の仕方によって、穏やかに落ち着くこともある。

人に対する理解

感情やプライドは残っている

人はつい、何か問題があると解決法を求めようとする。効率よく問題を解決したいため正解を記したマニュアル等をつい求めがちである。しかし認知症ケアには統一した解決法はない。対象者一人ひとりに対して個別に探っていくことが前提となる。

認知症の人の大きな特徴の一つが、感情やプライドは豊かに残っているという点である。記憶障害や様々な認知機能が低下しても、悲しい、寂しい、うれしい、楽しいといった気持ちは持ち続けている。

人は生まれながらに、その人固有の性質や性格を持っている。おとなしい人、リーダー気質な人、依存的な人、思いやりがある人、その個性は多様である。

その多様な個性を、我々の社会は言葉、常識、道徳等を何年間も後天的に教育することで、社会生活に適応させていく。つまり個性を一定の枠組みにおさめることで、人の集団を成り立たせているのだ。

例えば、相手を目の前にしてその人を罵ってはいけないというのは、子供の頃から学んで分かることである。大抵の良識ある大人は、社会生活においていきなり人を罵倒することはしないはずである。そんなことをしたら自分の立場が悪くなることは容易に想像つくからである。

日常的に目にする物、例えば冷蔵庫にしても、その中に冷やしておきたい物を入れる、という機能を後天的に学んで知っているのである。冷蔵庫の用途は、現代人にとって至極当たり前の知識だが、300年前に生きていた人たちは知らないはずだ。当たり前に知っている事柄が、その人の生まれた時代や地域によって全然違ってくる。

つまり何が言いたいかというと、自分たちが当然のように知っている知識や実践している規範は、意外にも脆く崩れやすい土台の上に立っているということだ。

言動の表と裏をみつめる

認知症になると、如実に影響を受けるのは、後天的に学んだ知識や事柄である。理解力、集中力、判断能力の低下によって、それらの知識や事柄について、それまで持っていた認識が出来なくなる。

先の例でいうと、急に感情的に目の前の人を罵ったり、冷蔵庫の中にゴミを置いてしまうなんてことがある。もちろん全ての人が、そういう行為をするということではなく、頭の中の枠組みが曖昧になってくると、可能性として思いもよらない言動となって表出することがあるのだ。

そういった行動の裏には、その人なりの理由があって行動に結び付いているのである。暴言がある場合は、子ども扱いしないでほしい、という訴えかもしれない。もともと自立志向が強い人が、感情が先鋭化している状態だと、いきなり怒りとして表現されることも考えられる。

羞恥心の強い人が、人に見せたくない物をどこか目につかない場所、例えば冷蔵庫の中にしまいこんでしまうかもしれない。冷蔵庫の機能よりも、早く物を隠さなきゃ、という焦りや不安が優先されてしまうことだってあり得る。

何が正しいのかはわからない。ただ、その人を深く観察すればその人なりの考えの傾向はつかめることもある。

言葉はまさしく後天的に得る能力である。自分の中にあるモヤモヤとした感情を他者に理解してもらうため、人は言葉を駆使して何とか折り合いをつけたり納得したりする。認知症になれば、言葉の意味合いの把握が曖昧になり、伝達能力が低下することが一般的である。

一見奇異にみえる言動も、その人なりの主張を表している。そうとらえて、言葉以外の態度、しぐさ、過去の情報等も含めて本人の意思を探っていくのが、認知症ケアの基本となる。それは、なかなか難しい課題なので、より専門的なアプローチが必要になる。

パーソンセンタードケア

パーソンセンタードケアという考え方がある。

パーソン・センタード・ケアは,認知症をもつ人を一人の“人”として尊重し,その人の視点や立場に立って理解し,ケアを行おうとする認知症ケアの考え方です.この考え方を提唱した英国の故トム・キットウッドは,当時の業務中心のケアに対して,人中心のケアの重要性を主張し,世界的に大きな影響を与えました.

この考え方をもとにして、実践で使用されるツールとして認知症ケアマッピングセンター方式等がある。
パーソンセンタードケアでは、認知症をもつ人の行動は、①脳の機能障害の他に②性格傾向③生活歴④身体の状態(視力低下、難聴等)⑤社会心理(周囲の人とのかかわり)という5つの要素が影響し合って生じさせていると考える。
この考え方をもとに開発された認知症ケアマッピング等のツールを有効に活用するには、膨大な情報を要する。対象者を観察するために多くの人的作業と時間を必要とする(認知症ケアマッピング法では、通常6時間以上連続し手観察し、5分毎の行動をチェックする)。
当然一人で出来る作業ではなく、これらのツールを使いこなすにはチームケア、チーム内の情報共有、目的の共有等が求められる。
在宅での介護は、特定の人にその負担が偏りがちだ。特に認知症になると、介護家族は「今までと別人のようになってわけのわからないことをする」と感じ混乱してしまう。何もわからない人を介護しているという認識を続けると、家族にも本人にもつらい道のりになる。
わけのわからない人という扱いで接していれば、プライドを傷つけますます認知症の進行を早めてしまう危険性がある。そうしないためにも認知症に対する理解が必要なのである。在宅で過ごすのも、施設で過ごすのも同じようにケアする側に理解が必要である。
しかし、ここで誰もが疑問を呈する。そんなことをしている余裕があるのだろうか?単なる理想論を述べているだけではないか?介護の現場は、常に人手が不足している。ほとんどの介護事業者は、ギリギリの人数でサービスをまわしている。
パーソンセンタードケア。認知症のケアには、今のところ、その視点なくして有効なアプローチは存在しない。しかし在宅でも施設でも、それをサポートする人材や時間がふんだんにあるとはとてもいえない状況である。
そんな状況とは裏腹に、冒頭で述べたように認知症の人口は今後ますます増えていく。
介護の専門家に、この状況を丸投げするだけでは、確実に行き詰まる。だからこそより多くの人に認知症に対する理解を深めてほしいのである。
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