AIについて

AIとケアプラン

ここ数回AIについて触れたので、今回は真正面からAIについて考えてみたいと思う。巷には、AIに仕事を奪われる、AIは人智を超える等の言説が溢れている。何か凄いものだとういうイメージがある一方で、漠然とした不安感もあるように感じる。

僕の専門の介護分野は、AI化とは程遠い業界と思われがちだが、試験的にAI化を進める動きがある。例えば、ケアマネジャーが作成するケアプランをAIで作成してしまおうという試みである。

何度か、AIケアプランの開発業者が参加している研修に参加して、実際にそのアプリケーションを使用してみたことがある。その仕様を簡単に説明すると、例えばAさんという要介護者がいたとして、「歩行は介助の必要なし」「入浴は一部介護が必要」等、Aさんの身体状況を70項目ほどコンピュターに入力する。そうすると膨大なデータの中からAさんに適切であろうと思われるサービス内容(訪問介護が週2回、デイサービスが週1回等)がAIによって数パターン提示されるという仕様である。

今後さらにデータが増えると、地域性も加味された上でのサービスの提示が可能になるという。しかしAIが出来ることはデータの中から、似たような条件下で利用されているサービスを選び出しているだけである。今のところ、こういう状況ある利用者は、こういうサービスを利用している人が多いんだな、と参考になる程度でAI自体が独創性を発揮しているわけではない。

AIの限界

AIについては「AI vs 教科書が読めない子供たち」という本が参考になるので、著者の主張を交えながら説明してみたい。この本によると、AIとは何かしらの意味を理解し考えて答えをだしているのではなく、入力に応じて計算し答えを出力しているにすぎないという。ただ扱う情報が膨大になり、物凄いスピードで処理できるようになったから考えているように錯覚するだけなのである。

つまり、普段我々が使っている卓上計算機とAIは、その構造において原理は変わらないのである。複雑なことをやっているように見えても、コンピューターは足し算と掛け算しかできない。膨大の計算量を処理し、積み上げられたデータを論理、確率、統計という数学的手法を基に処理する。簡単に言えば、それだけである。だから著者は「シンギュラリティ(AIが人の力を借りず、自律的に自分自身より能力の高いAIを生み出すことが出来る地点)」などこないと断言する。

確かにシンギュラリティが達成されたとすれば、人類にとって悪夢の時代の始まりかもしれない。とういうより、ちょっとした悪意があれば、人類そのものが簡単に亡き者にされるだろう。それこそターミーネーターやマトリックスの世界観が頭をよぎる。

AIには何ができて何ができないのかということを理解しておけば、不必要に脅威に感じることもないし、逆にどんな能力がこれから求められるのか想定しやすくなる。 特に独創性がない作業的な仕事はAIの得意分野である。基本的にミスはないし、スピードも速いので生産性が高い。効率性でみると、人間のほうが圧倒的に分が悪い。

ただし、人の感情や意向(裏にある感情も含めて)を汲み取る能力、想いや熱意を伝える能力は、AIには本質的に持つことが出来ない(今後真似ることはできるかもしれないが)。先のAIケアプランの例でいえば、ケアマネジャーが仕事を奪われるという不安は杞憂である。何故なら、幸か不幸かAIに出来ないことが能力として求められているからである。仕事の質が変化するとすれば、AIというよりシステムのIT化の影響の方が強烈だろうと思う。それは、また違う話しになるので別の機会に論じてみたい。

おすすめの記事